皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第33回 特別編・『近代出版研究』第3号を刊行しました

河原努(皓星社・近代出版研究所)

 

■今年も編集余話を書きます

今月の10日、近代出版研究所の年刊研究誌『近代出版研究』第3号が発売になりました【図1】。去年の4月に第2号が出た際にも「特別編・『近代出版研究』第2号の編集余話」と題して裏話を書いたので、今年も慣例に従うことにします。と、いっても昨年ほど大きな話題はないのですが……2月半ばにある著者の方から「コロナに罹ってしまい原稿が書けないので、今回は落としてくださっても問題ありません……」という悲しいメールが届いたところ、月末になって「今更ながら、原稿が明日くらいには完成しそうですが、もう手遅れでしょうか?」というメールをいただき、ギリギリ掲載が間に合ったのが、今回の最大の山場でした。
ちなみに昨年同様、「日本の古本屋」メールマガジン(2024年5月25日号)に、編集長の小林昌樹さんが弊誌について書く予定になっております。そちらは総論的な書き方になるはずなので、拙稿はあくまで黒衣からみた裏話を。あ、同誌4月25日号の「自著を語る」には私が並行して編集作業を行っていた『知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家-青柳秀雄の生涯とその業績』(皓星社、2024年)の著者・北見継仁さんが文章を寄せているので、そちらも是非。

【図1】『近代出版研究』3号の表紙

■座談会 「書物雑誌」と雑誌の「書物特集」

今回の座談会は元々は第2号用にと、おととし2022年6月11日に開催したもの。メンバーは小林昌樹・森洋介・鈴木宏宗、そして私という、いつもの4人。小林・森・鈴木の3人がそれぞれ自宅から段ボール一杯の「書物雑誌」または雑誌の「書物特集」を持ち寄り、『近代出版研究』の“先祖探し”と斎藤昌三『書物誌展望』(八木書店、1955)以降の書物雑誌の流れを概括しようという趣向。「在野研究者の神川隆さんが陪席しているのは、午前中に別件で立ち寄られた際「午後からこんな座談会がありますけど、見学されます?」とお誘いしたからである。
13時開始の所を、森さんが遅刻して30分遅れてスタート。いつも通りの森節で場を主導していたが、突然、電池が切れたように「ごめん、ちょっと昨日から雑誌探しで朝まで寝られなくて、睡眠不足のせゐで話をまとめられない」とダウン。私の当日の日記にも「森さんが寝不足なこともあって、今回の座談は割ととりとめのない感じに」とあり、「座談会当日に寝不足で来るなんて、雑誌探しより本人の体調の方が重要でしょうが! それで座談が中断するのは本末転倒でしょ!」とたしなめた記憶があるが、人より本を優先してしまう、そこが森さんの森さんたる所以なんだよなあ……。
ついでに言えば、2023年4月に近代出版研究所の客員研究員(顧問格)である出版史家の戸家誠さんが上京された折にも、小林・森・河原が戸家さんに話を伺う体で座談会を録音している。こちらについての詳細は本連載第26回で触れたが、端的にいえば、1970年代から出版業界を見てきた戸家さんを交えて「出版ジャーナリスト」「出版評論家」について話したものの、みんなが思っていることをあけすけに言いすぎ(笑)、市販する『近代出版研究』にはちょっと載せづらい、となった。それでも、お蔵入りにするには惜しいので、「放談」と頭に付け「放談 出版ジャーナリズムに出版史を求めて」と題し、昨年の夏コミで頒布した【図2】。

【図2】「近代出版研究叢書・資料編」の第3弾。第1弾はもう品切れです。いつまでも在庫があるわけではないので、読みたいと思ったときが買い時ですよ!

■森さん、早く戻して……!

昨年秋、おととし6月の座談会を第3号に掲載しようという話になり、参加者4人で座談会原稿の赤字突き合わせを行った。その際、少々終わりが唐突すぎるし、触れ損ねた雑誌について言及しておきたい、という話になり、そのまま会話を録音することにした。そこで書物雑誌の周期説が持ち上がったので、これは面白いねと、元の座談会を補完するために載せることになった。
組版に回す前にWordで各人にゲラを回すのだが、案の定、森さんはなかなか返してくれない。そもそも、森さんだけ「旧かなづかい」なので(※1)、人より時間がかかる。「ここでどれだけ粘っても仕方がないし、組版ゲラに赤字を入れられるでしょう? 組んでみないと全体のページ数がわからんのですよ!」とようやくWord原稿を取り上げて組版に回した。初稿ゲラにも大量の赤字を入れてきたが、再校ゲラもなかなか戻さない。3月初旬に「月曜日の午後には反映したいから、月曜早朝厳守ですよ」と通知し、自室に帰すと部屋から出てこない可能性があるので週末土曜の夜から小林所長管理下の「古本研究所」にカンヅメにしてみたが、月曜日中には出頭せず。火曜日の夕方にようやく一段落付いたのか、朱筆で「真っ赤っか」になった原稿【図3】を持って小林さんに連行されてきた……。当日の日記より「4時過ぎに小林さんと森さんが来社。森さんはまだ目の前で赤字を入れていた」。そこで原稿を回収はしたが、長文すぎてゲラに赤字を入れるスペースがない箇所(20箇所!)に挿入する別添「加筆テキスト・ファイル」が翌朝届いた……。

【図3】ほとんどのページが朱筆でこんな具合。反映も大変だった……

献本したある先達からの御礼状に「いつもこんなに濃い話をしているのですか」と書かれていましたが、その通りです。森さんが大量に朱筆を入れたから濃くなったのではなく、普段から懇談している話題の延長上ですから……。

別の先達からは電話口で「これ、正直濃すぎるよね。読んでいて疲れる」と言われ、私が「図版がないからじゃないですかね? それがあるともう少し緩和できたと思うんですけど」と返すと、「そうだよー」。本当は図版を入れたかったんだけど【図4】、ページが確定したら本文が長過ぎ、かといって切るのも惜しく、図版が入るスペースが無かったのです! その補完の意味か、書物蔵さんがいくつかXでポストしていますね。

【図4】今回持ち寄った雑誌は段ボールで5箱、これは未返却の森箱の一部。全体は数百冊というレベル

 

 

※1 もちろん「旧字」にしたいという要望が創刊号の座談会のときに出されるも「組版が大変すぎるからダメ!」と突っぱねた。「旧かな(づかい)」は妥協の産物なのだ。

 

■今号で一番、感慨が深い原稿

今回初めて寄稿して頂いた方々のうち、私の一存でお声がけした一人が、ライター、書評家の嵯峨景子さんだ。嵯峨さんには別の書籍企画でお願いがあり、その初対面の席で『近代出版研究』をお渡しした。同年輩で、私の古巣の編集者2人と公私ともにお付き合いがあることもわかって(一人は同期のMさんだった!)、親しみを感じ始めたときに、嵯峨さんの口から「私を初めて東京古書会館の古書展に連れて行ってくれたのは黒岩比佐子さんだったんですよ」「古書の世界では横田順彌さんにもお世話になりました」という話が出た。直感的に、その主題が『近代出版研究』の読者に向いている……いや、なにより黒岩さんや横田さんに敬意と思い出のある小林さんや神保町のオタさんが読みたいだろうと思った。もちろん、私も読みたい。八面六臂の活躍をされている嵯峨さんに、いま故人である黒岩さんと横田さんについてのエッセイを依頼する人はいないだろうし、それは私の役目のような気もした。
弊誌はほぼ研究同人誌故にボランティア同様の薄謝なので、プロのライターである嵯峨さんに寄稿をお願いするのには躊躇があったが(安田理央さんもそうでした……)、後日意を決して正式にお願いしてみると「ぜひ」と仰って頂き、原稿を寄せて頂けた。
もちろん編集担当者として全ての原稿に思い入れはあるが、このエッセイの産婆役になれたのが、今号では一番感慨が深い。

 


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