皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

関東大震災文学のススメ 児玉千尋(大学図書館司書)

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■初めに

メルマガに何か書きませんかということで、6月に発売された『シリーズ紙礫17 文豪たちの関東大震災』出版までの経緯や、関東大震災に関する文学作品の面白さを力説したいのだが、『調べる技術』の小林昌樹さんが連載しているメルマガを読まれる方なら、調査方法にも興味があるかもしれないので、私の調べ方も紹介しておく。といっても、小林さんのような裏技はない。時間と体力でひたすら突き進むのみである。

 

■『文豪たちの関東大震災』出版まで

今年の9月1日は関東大震災から100年目。そのような節目の年に合わせて、関東大震災に関する小説や随筆、短歌、詩、戯曲、体験記などを集めたアンソロジー『文豪たちの関東大震災』を出版する機会をいただいた。
筆者の本職は図書館司書なのだが、2012年「災害文学としての『方丈記』と東日本大震災」という展示を当時働いていた図書館で行った。その展示資料の一部として、関東大震災に遭遇した文豪たちの作品を調査した。その内容は「関東大震災と文豪 : 成蹊大学図書館の展示から」としてまとめ、インターネットで公開されている。これに目を止めた皓星社の編集者さんから、今回の出版のお話をいただいたという次第。メルマガにも連載されている河原努さんが、その編集者さんである。読者の方はご存じかもしれないが、人名辞典の制作者で文献リストのようなものが大好きな方だ。上記の論文も、大部な関東大震災関連の文献リストが載っており、そこが河原さんのハートを掴んだようだ。
『文豪たちの関東大震災』にもたくさん文献リストを載せようと、出版準備のほとんどの時間は作品調査をしていたのだが、掲載する文学作品本体が増えてしまって、リストに割くページがなくなってしまった。なんだったらリストの方がメインなのに、これでは本末転倒である! どうしても紙幅には限りがあるので、お願いしてリストはネットに掲載し、本にはQRコードをつけてもらった。これでどれだけ増えても大丈夫となり、増補もすることが出来る。

 

■関東大震災文学をおススメする理由

さて、筆者は日本文学科を卒業しているのだが、文豪や古典的作品には全く興味がなく、ほとんど読んだことがなかった。日本文学って、おっさんが若い娘とかを想って布団にくるまって煩悶してそうなイメージ。殺人事件とかも起こらず、美しい解決もなく、山も落ちもない。
そんな私が、そもそもは業務で始めたとはいえ、それから10年も楽しく続けられた理由。純粋に面白いのだ。悲惨な災害を「面白い」と表現するのは不謹慎だが、物語として面白いのだ。
まず、未曽有の災害が起きる。命からがら脱出する。そして感動の再会。誰が書いても、起承転結、大事件、美しい結末になってしまう。(時には悲惨な結末もある。)
また、ある1日、ある一定の期間が、これほど濃密に記録が残っているというのも珍しいと思う。有名な文豪はもちろん、政治家、芸術家、企業家、歴史に名を残していない人までが、その日の経験を書き残している。震災を知ることにも、もちろん有効だが、さらに当時の風俗、習慣なども知ることが出来て興味深い。
泉鏡花の震災体験記「露宿」には、鏡花の家を訪れる避難中の文豪の姿が描かれている。小説家で有島武郎・生馬の弟の里見弴は「手拭を喧嘩被り、白地の浴衣の尻端折」、連れの女性は「手拭を吉原かぶりで、艶な蹴出しの褄端折」。小説家、劇作家、俳人の久保田万太郎は、「振分の荷を肩に、わらぢ穿」「(久保勘)と染めた印袢纏で、脚絆」といういでたち。大正も末期だが、思った以上に江戸の風俗を引きずっていた。

 

■さらに読み進む

ある程度、震災記を読み込んでいくと倦怠期が訪れる。誰が書いても面白いのだが、逆に誰が書いても似たような、未曽有の災害、命がけの脱出、感動の再会になってしまう。もう、どれが誰の作品だったのか見分けがつかなくなる。そこで、文豪の腕のみせどころとなる。似たような展開にも、ユニークな筆力が際立ってくる。

例えば、前述の泉鏡花「露宿」。震災の類焼で今にも自分の家が燃えそうな場面でも、あくまで耽美。「消すに水のない劫火は、月の雫が冷すのであらう。」火事の火の粉は流れ星となる。次に、公園に避難すると、公園に張った天幕の中でしめやかな逢引が始まる。そして、避難者の持ってきた荷物が妖しい様相を帯び始める。鏡花の小説は、鏡花の想像で編み出されたものだと考えていたのだが、むしろ、鏡花というフィルターを通して見ると、どんな状況でも、たとえ大地震にあって焼けだされている状況であっても、世界は鏡花的艶気と妖しさに満ちていく。

 

■いくつかの視点からとらえる

もう1つの楽しみ方が、一緒に被災した人間がそれぞれの体験をどのように描いたかという点。一緒に被災していそうな友人、夫婦、兄弟、親子などを重点的に調査した。

これが上手くいった例は、芥川龍之介と妻文の体験記だ。芥川は「大震日録」などで震災の瞬間を冷静に描いている。仲間の文豪たちも落ち着き払ったスマートな芥川について書き残している。しかし芥川の妻文の『追想芥川龍之介』では、芥川は赤ん坊も放置したまま一人で逃げ出しており、妻に怒られている。

私はその時主人に、
「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」
とひどく怒りました。
すると主人は、
「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」
と、ひっそりと言いました。

もう1つ対比が面白かったのは、宇野千代、尾崎士郎のカップルで、対照的な印象の作品を残している。他に夫婦では、詩人、小説家の岡本かの子、漫画家の一平夫妻。後に芸術家となった息子の太郎についても何か書いていないかと思ったが、それほど登場はしなかった。与謝野晶子、鉄幹夫妻もお互いのことは書き残していない。

兄弟では、谷崎潤一郎、小説家、英文学者の弟精二、末弟の終平。別々に暮らしていたので、お互いへの言及はほとんどなかった。有島兄弟を見てみると、有島武郎は震災直前に心中している。画家の生馬、里見弴はそれぞれ震災の作品を多く残しているが、こちらもお互いへの言及はほとんどない。男兄弟とはそんなものなのかもしれない。

親子では、森鴎外は震災の前に亡くなっていた。娘の森茉莉は『記憶の絵』の中に体験記を残しており、個性のあらわれた面白い作品となっている。幸田露伴は関東大震災について書き残してはいるのだが、文体の格調高く、自分や家族のことには言及していない。娘の幸田文は『きもの』という自伝的な作品で、震災で避難している時に父の愛人に遭遇したエピソードなどを書き残しており、これもなかなか面白い。
親子のもう1例は、広津柳浪と広津和郎だ。父の広津柳浪『私達のリリー』によれば、柳浪は鎌倉の自宅で被災。建物が崩れ落ちてきたが、大きな寝椅子が梁を支え、その隙間で命拾いした。この寝椅子は、和郎の友人で文学評論家の増田篤夫のものであった。息子の広津和郎の『増田篤夫の椅子と鞄』では、父の命の恩人である寝椅子のお礼を言おうと、和郎は増田のもとを訪ねる。増田は、寝椅子を和郎のもとに、これまでの文学評論などの作品の全てが詰まった鞄をまた別のところに預けていた。寝椅子は柳浪の命を救うことになったが、大切な原稿の入った鞄は焼けてしまっていた、という皮肉な結果であった。こちらは本の宣伝用に開設した「Youtube」(「文豪たちの関東大震災~広津和郎と広津柳浪の場合」)で詳しく解説している。また、私の拙い(本当に拙い)朗読で聞くこともできる。

友人関係では、拙書の芥川龍之介の解説で詳しく紹介しているが、芥川龍之介、久米正雄、田中純、小島政二郎、佐藤春夫、室生犀星、川端康成などが、お互いに訪問しあい、震災前後の情景を書き残している。拙書で取り上げなかった友人の例を1つ挙げておく。震災の時に直木三十五は帽子を3つ重ねて被り、自分の家が早く燃えないかと眺めていたと「帽子」(『直木三十五随筆集』)などに書いている。友人たちにとってもその行動は印象的だったようで、広津和郎『年月のあしおと』、宇野浩二『思い川』にもその姿が登場する。これについても、「Youtube」(「文豪たちの関東大震災~直木三十五の奇行」)で詳しく解説しているので、興味があればご覧いただきたい。

■関東大震災作品の探し方

10年ほど前の論文をまとめたときは、個人の方が運営している「研究余録:全集目次総覧」というサイトを使用した。文学全集の収録タイトルが一覧になっているので、タイトルに「震災」などの単語が含まれるものを探した。現在でも、図書館の検索ページからは全集の中までは分からないことがあるので、大変便利なサイトだ。
今回は、出版のお話をいただいたちょうどその時に、「国立国会図書館デジタルコレクション」の機能が大幅に改良された。全文検索と個人向けデジタル化資料送信サービスが強化され、これまではタイトルまでしか探せなかったものが、本文まで検索できるようになり、データのヒット数は飛躍的に増えた。検索方法を見ていく。

①まずはログインをする。インターネットからの申し込みで登録でき、見ることが出来る資料数が増えるので、登録した方が良い。
②次に詳細検索を選択する。私はここで、「キーワード」に「震災」を、「著者」のところに任意の作家名を入力する。「泉鏡花」の短編「露宿」を検索したい場合でも、「露宿」は「タイトル」に入力せず、「キーワード」に入れた方が良い。「タイトル」は本のタイトル部分を見に行くようで、「鏡花全集」の中に「露宿」が収録されているようなときにヒットしてこない。
特定の作家名で調べない場合は、左の絞り込みから「NDC分類」を「9文学」など選択することで文学作品に特定することもできるが、「震災」「9文学」だけではものすごい数がヒットしてしまう。

③検索結果が表示される。ここで見たい結果を直接クリックせず、右クリックで新しいタブで開いていく。直接クリックすると、画面変移して、検索結果が消えてしまうので、いちいち画面を戻すのが手間になるためだ。
また、検索結果一覧の画面では、ヒットした検索ワードが太字で見やすく表示されるが、本文ページに行くとハイライトなどはない。本文の画像が表示されるので、ブラウザの検索も使えず、自分の眼で探すのみだ。「関東大震災」はある時期、メルクマールとして使用されていたようで、本文に「震災」の文字を発見しても、「震災前はよく行った」「震災後は会っていない」というように時代区分として使われている場合も多かった。
デジタルコレクションには、雑誌記事も搭載されているが、雑誌に収録されている作品名や全文検索ではほぼヒットしない印象を受ける。関東大震災の場合は、震災直後に多くの特集号が組まれたので、雑誌記事の場合は、単語検索は諦めて、その時期のものを片っ端から見ていった。その点では、関東大震災文学の主要部分は震災直後に集中しているので、調査はしやすかった。文芸誌だけでなく、政治経済系の雑誌にも連載小説などの文芸パートがあり、文豪の作品が掲載されていた。また、政治誌には政治家が、経済誌には企業家が、芸術誌には芸術家が、体験談などを寄稿しているので、それぞれの分野で興味のある著名な人物の著述を読むことが出来る。

 

■終わりに

細々と10年間、出版準備期間の半年間はひたすら、作品調査を進めていたが、関東大震災文学作品の終わりは全く見えない。発見していない作品は、まだまだたくさんある。もしも、興味を持っていただけたら、皆さんも是非探してほしい。

 


児玉千尋(こだま・ちひろ)

東京都生まれ。成蹊大学文学部日本文学科を卒業後、中央大学大学院西洋史専攻博士前期課程を修了。現在は大学図書館司書で、東京大学総合図書館、東京国立博物館、国立国会図書館、成蹊大学、共立女子大学等に勤務した。
成蹊大学文学部紀要『成蹊國文』に「関東大震災と文豪 : 成蹊大学図書館の展示から」(2014年)、「紹介・成蹊大学図書館所蔵『丹鶴叢書』」(2016年)を寄稿。

 

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