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編集部日記

82 : 夏本番
2005年 8月 1日(月)

まるまるひと月さぼってしまった。またか。
梅雨も明け、焦げるような陽射し。

今月の新刊(8/22 あがり)。
『忘れさせられたアンダルシア——あるアナキストの生と死』
スペイン語の本の翻訳。

翻訳ものも2冊目となり、翻訳の恐ろしさに腰がひけている今日この頃。

81 : 上半期終了
2005年 6月 30日(木)

6/15 なんとか新刊と対面
6/22 配本

新刊との対面は相変わらず緊張のひととき。
手にとって中を見る。ぱらぱらと見る。
すると、会いたくても会えなかった「ヒト」に会ってしまうのだ。
いや、もう会ってはいけない「ヒト」に会ってしまうのだ。
そして今回もうちひしがれながら、新刊を送りだす。

今日で今年の半分が終わる。

80 : 梅雨入り
2005年 6月 10日(金)

じめじめの日々がまたはじまった。

新刊もどうやら製本所へ移動のようだし、ちょっとだけひと息。

79 : 衣替え
2005年 6月 6日(月)

をしたわけではない。

6/2 『理科雑学アドベンチャー』下版
6/5 道ばたで転倒
6/7 色校出、著者打ち合わせ、本文白校戻し予定
6/15 新刊仕上がり予定
6/30 最後に美容院へ行ってから丸2年予定

我ながらどうかと思う今日この頃……。

78 : 沢田二郎さん出版記念会 完結編
2005年 5月 24日(火)

5月22日(日)
『「らい予防法」で生きた六十年の苦闘』第三部 廃者復活ものがたり 出版記念と三部作完結のお祝いに駿河療養所へ行ってきた。

3月にデビューしたロマンスカーの新型に乗り、御殿場へ近づくにつれて田植えの時期が遡る景色を眺めながら、またしても雨の御殿場となったと天気運の悪さを呪う。

会は40名近くの参加者と、完結を祝う言葉の数々で、盛会に終わった。
著者の沢田さんがとてもよろこんでいらしたのがなによりだった。

2002年の第一部から、沢田さんの、やはり「渾身」——あまり好きな言い方ではないと書いたこともあったが——という言葉があてはまる完結までの道のりだったと思える。
視力に頼れない沢田さんは、すべてを頭の中において、三作通してどうかということを常に頭からはなさずに書いてこられた。

弟の五郎さんからの今回のメッセージ。お兄さんに対する思いというものの、いつも以上の強さが印象的だった。

よかったなぁ、と思うばかりであまり言葉にならない。
表現の未熟さゆえか……。

77 : めまぐるしい……
2005年 5月 13日(金)

ふと気がつけば、ひと月近くも日記をさぼっていた。
やってもやっても仕事が減っていないように思えるのは、気のせいであってほしい。

このところ、新企画の雑学本の著者とこまめに打ち合わせ。
わが社にはめずらしくお若い著者(他意はありません)。
私とほとんど変わらない。
打ち合わせ以外の話のほうをたくさんしているかもしれないのだが、話の尽きない方で楽しい。
大学もいろいろと変化の大きい時期だが、小・中学校も例外ではないようだ。
週休2日制や授業科目の増減で、先生方の苦難も続く。その授業がなくなってしまうがために5年かけてやっとつくった体制を、またゼロからつくりあげなければならなくなってしまったり。

いろいろいろいろ話をしながら、やはり、こどもであろうがおとなであろうが、人と対等に向き合うことの大切さをあらためて思う。


さっき、ようやく裁判記録集の管理表を各方面へ送る。
ほっとしたいところだが、まだ未解決事項が残っている……。
管理表にうなされそうだ……。

76 : 春は……。
2005年 4月 19日(火)

桜もだいぶ緑色になってきた。
数日前は、フタホシテントウと同伴出勤した。
電車の戸のガラスにとまって、戸が開閉するたびに戸袋を出たり入ったりしていたので、阿佐ヶ谷で勝手にいっしょに降りた。
駅前の交差点で別れた。

今朝、国立駅で、電車から無意識に目が寒桜をさがした。
桜がいなくなったそこは、よく陽があたって明るかった。
中央線の高架工事にともない、3月下旬に切られてしまった。いまは、「くにたち桜守」のひとたちが市の苗床で育てているそうだ。
毎年、寒いうちから「まだかな、まだかな」と、通勤途中に人の背中や肩の間から早咲きの桜を見るのが習慣になっていた。

杉並区役所の楠は、日に日に青々としてくる。
枝葉の間からのぞく空が、だんだん小さくこまかくなる。


おっと。仕事仕事。

75 : け、決算……
2005年 4月 11日(月)

つい数日前、制作原価表のファイルが壊れてしまった。
明日、税理士の先生が来てしまう。
7カ月遡るはめになるなんて。
とったつもりになっていたバックアップはいずこ……。


今朝、通勤途中の景色が違っていた。
辛夷の花がきれいさっぱり落ちていた。
あの強風ではしかたないか。
畑もだいぶ桜色になっていたな。
この雨で落ちてしまうかな。

74 : 桜開花
2005年 3月 31日(木)

朝の日ざしで、今日だろうと思っていたら。やっぱり。
でも、まだちょっと「あぁ、春だぁ」とは言えない肌寒さ。
弥生も終わり、明日から卯月。
沈丁花の香りはもうおしまいかな。

来週は『千年紀文学叢書5 精神の痛みと文学の根源』があがってくる。

裁判記録集の山が小さくならないのは気のせいだろうか……。

73 : 追悼
2005年 3月 29日(火)

長谷川七郎さん

以下、ご遺族からのご挨拶。

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拝啓 ようやく春らしくなってきましたが、皆様ご健勝のことと存じます。さて、かねてから病気加療中でありました長谷川七郎は、二月二〇日肺炎のため、東京厚生年金病院で九一歳の生涯を閉じました。
 生前は七〇歳で仕事からはなれ、好きな旅行や詩作・著作などを楽しみながら、多くの人と交遊を重ねてきました。また、皆様に助けられ、お世話になりながら、豊かな人生を送ることができたことは、本人も喜んでいたことと思います。
 昨年夏ごろから体調を崩し、本年初めからほとんど食事を取ることができず、体力が衰えていきました。それでも入院中は頭の中は旅行中の思い出があるようで、北京やパリのことをうわごとのように言っていました。しかしそれも限界にきて、二〇日に家族に看取られながら息を引き取りました。葬儀は二四日にごく近い親戚のみで、無宗教にて済ませました。
 ここに生前の故七郎へのご厚誼に感謝するとともに、謹んでお知らせいたします。 敬具

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謹んでご冥福をお祈りいたします。

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