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編集部日記

72 : 納品の巻
2005年 3月 22日(火)

明日のつもりでいたのだが、急遽予定繰り上げで、沢田二郎さんのところへ納品に行ってきた。

『「らい予防法」で生きた六十年の苦闘』第三部 廃者復活ものがたり

本日完成です。
毎度毎度、本のできあがるときはドキドキ(ビクビクのほうが正しいかもしれん)ものだ。

今日も駿河は雨だった。
東京を出るときには生暖かく感じたのに、御殿場ですでに冷えきってしまう寒さ。
駿河療養所はあたり一面、濃い霧でいっぱい。

沢田さんには事前に連絡がつかなかったため、お食事中に突然お訪ねすることになってしまい、なにやら慌ただしくお暇してきた。

個人的にこういう言い方はあまりしないのだが、まさに渾身の作である。

71 : 弥生
2005年 3月 7日(月)

今月から新年度。
新年度第一日目から新刊の納品。

『植民地教育史研究年報07 植民地教育体験の記憶』

早速「発見」がポツポツと……。ふぅ。

4日にはなんとか『「らい予防法」で生きた六十年の苦闘』第三部の下版を済ませた。
今日は後送にしていたオビの版下を印刷所へ。

明日は本文の白校が出てくる。
明後日は付き物の色校。

70 : きゃーーーーーーーっ!
2005年 2月 22日(火)

「明日」から1週間も経ってしまった。

16日、駿河療養所へ行ってきた。
朝は霙まじりの冷たい雨。

沢田二郎さんの『「らい予防法」で生きた六十年の苦闘』第三部がいよいよ大詰め。
最後の確認に。

沢田さんを待つ間、園内を少し歩く。
しかしまぁ、なんて起伏の激しいところか。
高台にある納骨堂へ行くのに、息切れするくらい坂道をのぼる。
(でも息切れは荷物が重かったからで、決して運動不足だからではないと思っている)

日常生活のなかで「ちょっと行く」にしては、過剰な起伏である。
車もローに入れっぱなし。

その日は、年に一度ある神山幼稚園の園児たちの発表会で、ちっちゃい子とお母さんたちで珍しい賑やかぶりだった。
子どもがいることがないからね、とおっしゃったのは自治会の小鹿さん。


物事は本当にしっかり見ないと、簡単に見落としてしまうことばかりだ。

69 : 今日は
2005年 2月 16日(水)

駿河療養所へ行ってきた。
詳細は明日。

68 : 昨日は
2005年 2月 16日(水)

ひとつ下版したぞ!

が、もう修正が……。

あぁ……。

67 : というか、
2005年 2月 3日(木)

もう2月だ!

豆をまいて気を落ち着けよう。

本をしあげなきゃぁーーーー。

66 : 記憶
2005年 2月 3日(木)

ということばが、このところ一つのキーワードであるようだ。

植民地関連、ハンセン病関連で共通するのがオーラルヒストリーというもの。たまたまこういうものが続いただけなのだが。
「記憶」が存在している間に記録に残す作業。
記憶している人は、どんどん減っていく。
アウシュビッツ収容所の解放60周年。
ということは敗戦後60年ということでもある。

まとまらんが、こういったことが絡み合ってるなぁ、と思った今日この頃。

65 : なんと!
2005年 1月 6日(木)

2005年です。

去年は、半年前の記憶をさらに1年前の記憶と勘違いするくらいの勢いで終わってしまった。
(ほんとは勢いの問題ではないんだろうなぁ……)

今年こそは、『ハンセン病文学全集』完結と、『ハンセン病違憲国賠裁判全史』刊行を第一に、ますます突っ走るべしです。

その前に。
今月・来月で2冊仕上げなきゃ。
日一日と追われる感が強まってくるのは気のせいだろうか。
いや、気のせいにしたい。
しかし。ゲラに背を向けてパソコンに向かってしまうのは、気のせいじゃないなぁ……。

仕事仕事。

64 : 再び鹿児島の巻
2004年 12月 20日(月)

15-17日、星塚敬愛園へ行ってきた。
今回の目的は資料の調査・収集。

3日間ともいいお天気で、昼間は20度くらいになり汗ばむほど。
汗をかいた分、いっぱい仕事をした気になった。
(いや、まじめにほんとうに仕事しました)

今回は、『ハンセン病文学全集』のための調査。
敬愛園の資料調査室へお邪魔して、とにかく片っ端から機関誌「姶良野」の頁を繰る。
必要なところに付箋をつけ、ある程度たまるとその束を抱えて自治会へコピーをとりに走る。2台あるコピー機の1台を占領。
自治会の人びとは、こんなにコピーをとる人もいないのだろう、半ばあきれ顔だった……。
「コピー機持ってくればよかったのに!」
「ははは……」

終わらないかもしれないと心配していた作業も3日目になんとか終了。
みなさまのご協力に感謝いたします。
お騒がせいたしました。
連日、調査室へ足を運んでくださり、いっしょに頁を繰って作業をお手伝いくださったつきださん、本当にありがとうございました。もう、恐縮するばかりです。

さて、1日目の夜は風見さんと街へ繰り出す。
けっこうな勢いで焼酎をいただき園へ戻るも、風見さんのお部屋で第二弾。朝4時になってようやく、寝ておかなければまずいことに気づく。外出先でまで朝帰りをするなんて、我ながら……うーん……。

2日目夜、山口シメ子さんご夫妻と食事へ。そこへ、思いがけないお客さまが。過日、一面トップ記事となった『手紙』紹介の記事を書かれた記者ご本人。とても実のあるお方でした。
食事の後、宿舎でその某記者さんと、山口さんにいただいた焼酎をいただきながら話していると某記者さんの携帯がリンリンリン♪
またまたなんと、『手紙』収録の社会科通信の辻村先生ではありませぬか!
突然電話を渡されしゃべってみると、辻村先生のほうがびっくりされて。
しかし、先生も弊社も阿佐ヶ谷だから、某記者さんが東京へお越しの際にはぜひともご一緒しましょうとかたく(?)誓いあいました。
楽しみだなあ。

厳戒体制のはずの鹿児島空港は、我らの予想に反し、静かなものであった。
渋滞やら何やらを予想して早く出たおかげで空港で時間ができてしまい、おみやげ屋さんをうろうろしたあげくにまたしても焼酎へと足が向かう。
いい気分で搭乗口へ向かい、金属探知機を通過できず、うら若き乙女なのに靴を脱ぎ、小物を全部預け(裸でポケットへ突っ込まれていたお札と小銭は恥ずかしかった)、あげくベルトまで公衆の面前ではずし、恥はかき捨てなどと心のなかで叫びながらの帰京であった。

【注意書】決して酔っぱらいの旅ではありません

63 : 【番外編】防備録まがい
2004年 12月 13日(月)

掲示板についてちと思ったことなど。
相手にきちんと向き合っているか、そうでないか。
この根本を異にしていると、かみ合わないままどんどこどんどこいってしまう。
HNだろうが本名だろうが、発言をしている一人の人間に対してまっすぐ向き合っているかどうかだ。
それができないから、どこかから人やら物事やらをひっぱってこないとものを言えない。
(間違っても「引用」ではない)
自分を拠り所にはできんということか。
情けなし。

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