皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第31回 みすず書房・横浜事件・語学教材の三題噺――東西出版社と日本リンガフォン協会の築井健人

河原努(皓星社・近代出版研究所)

 

■みすず書房から朝永振一郎の本が出ている理由は……?

その日は夕方に近代出版研究所の面々で集まる予定で、5時くらいに神保町を周遊した森洋介さんが待ち合わせ場所であった弊社にやってきた。「これが玉英堂で1300円だったんだよ、やっと買えたよ」と見せられたのは宮田昇『小尾俊人の戦後』(みすず書房、平成28年【図1】)。「ここに松井巻之助という人がやっていた学芸社という出版社を吸収したという記述があってさ。これで人文書の版元であるみずす書房から、朝永振一郎とか理系の出版物が出ている理由がわかったんだよ! 松井は〔河原が編集した〕『出版文化人物事典』に立項されている?」と畳みかけてきて、さっそく手元の『出版文化人物事典』を引いてみたら、ちゃんと立項されていた。「さすが」。うーん、これは同書の元となった「WHO」(日外アソシエーツの人物情報データベース)から「出版関係者」の分類コードで初期抽出をした際に拾われて、その後に削除しなかっただけだな。経歴に「学芸社」という言葉も無いし。

松井巻之助は、東西出版社が昭和二十四年に倒産すると、学芸社という個人出版社を自宅に起こし、〈現代物理学大系〉の『量子力学』をまず出しなおすことから始める。おそらく遡って東西出版社に入社したのも朝永とのなんらかの繋がりがあってのことだろう。(『小尾俊人の戦後』p131)

「河原さん、東西出版社も(『出版文化人物事典』の「出版社・団体名索引」で)引いてみて」。「東西出版社」の項目に名前があったのは青山鉞治と小野康人の二人。その名前をみた私は、すぐに二人の共通点に気がついた。「森さん、この二人、横浜事件に巻き込まれた人たちですよ」。

【図1】立派な本です

■東西出版社を追う

小野康人の経歴には次のようにあった。「昭和6年法政大学予科を卒業後、実兄である築井健人の営む出版業を手伝う。10年法政大学英文科に進み、13年卒業して改造社に入社。(中略)戦後は東西出版社を設立したが数年で廃業。リンガフォン日本支社に勤めた後、34年死去」。青山の経歴には「20年東海出版社、27年大蔵財務協会出版部、30年新評論社を経て、38年三信図書社長」とある。「東海出版社」は「東西出版社」の誤りで(※1)、図らずも本文の誤植を見つけてしまった。ガックリ。
続いて「国立国会図書館サーチ」の詳細検索画面で「出版者」の欄に「東西出版社」と入れて検索し、同社が出版した本を洗い出すと93件の検索結果が出た(令和6年2月現在)。これを精査すると2件は時期がずれるので別の版元と判断し、昭和21年から24年にかけて出版された91件が、私たちが追っている東西出版社の出版物だ。奥付を確認すると発行者に「築井健人」とある! 小野の経歴に「実兄である築井健人」と二人の続柄が明示されており、おそらく兄の築井が起こした東西出版社に、弟の小野が身を寄せたのではないかと思われた。
ここまで調べた頃には小林昌樹所長に加えて古本フレンズの大尾侑子さんも来社、そのまま皆で飲みに行ったので、その日の調べはそこで終わった。
その後、国会図書館に赴いた折に「国立国会図書館デジタルコレクション」で「東西出版社」を引くと、『出版ニュース』昭和24年8月21日号の「出版社案内」欄に東西出版社の概要が載っているのを見つけた【図2】。常々探している「ミニ社史」の一種である。

昭和二十年十月創立し、代表取締役に築井健人氏。大出版“現代物理学大系”全三十五巻は既に六冊を刊行し、目下継続中。朝永振一郎著“量子力学”をはじめ斯界注目の出版をなす。モダンライブラリーの金瓶梅、カンタベリ物語、等々古今東西の名著完訳本も好評がある。最近翻訳物の“アダノの鐘(ヂョン・ハーシ著)”をヒットした。(中央区京橋千代田ビル内・電話 京橋 七七一○)

先の『小尾俊人の戦後』の引用に「東西出版社が昭和二十四年に倒産すると」とあるので、この記述が東西出版社の全体像といってよさそうだ。森さんに言わせると「東西出版社の東西はおそらく東洋・西洋で、翻訳や語学に力を入れているでしょう。特に関口存男『新ドイツ語大講座』は重要な出版物で、のちに別の版元から出直している」(※2)。
ところでこの「出版社案内」欄、同時に杉山書店、昇龍堂、二葉書店、有朋堂、朝日新聞出版局の5社も紹介されており、特に杉山書店と二葉書店など紹介文をみたことのない版元が掲載されている。また整理しないといけない情報源を見つけてしまった……。

※1 例えば『横浜事件再審裁判を支援する会』No.2(1987.3.15)掲載の「「再審申し立て人」の横顔」には「戦後、東西出版社などを経て」とある。
※2 『小尾俊人の戦後』のp130-131で引かれている伏見康治が書いた松井の追悼文では「この出版社〔東西出版社〕は別に『金瓶梅』というようなおかしな本を出し、その方で儲けて、〔朝永振一郎の〕『量子力学』のような文化的出版をささえるのだと唱えていた由でしたが、実際は朝永先生の本だけ売れたという噂でした」と書かれていた。

【図2】『出版ニュース』掲載の「出版社案内」と『週刊読売』掲載の内幕記事

■英会話レコード販売で成功を収める

もちろん「築井健人」についても「国立国会図書館デジタルコレクション」で引いてみた。すると『日本紳士録』に立項されていたので「生年月日」「出身地」「出身校」がわかり、『英語青年』の彙報欄にも訃報が載っていて、基本情報が判明した。『英語青年』の訃報に記された肩書は「日本リンガフォン協会会長」になっている。弟である小野の経歴末尾に「リンガフォン日本支社に勤めた後、34年死去」とあったのを見ると、東西出版社の築井健人と同一人物といってよかろう。また、『週刊読売』昭和36年11月19日号掲載の「外国資本に飲まされた“苦い汁” 日本リンガフォンの悲劇」という内幕記事も見てみる。聞き慣れない「リンガフォン」という言葉の説明は記事の冒頭を引用すると次の通り。

その英会話レコードは、イギリス製SP盤で、十六枚一組みのリンガフォン・レコード。それにテキスト、日本語の解説書がついて一組み一万六千円。これが月に千組みも売れている。会社は「日本リンガフォン協会」。これをソロバンのうえからみると、毎月の売り上げが千六百万円。この一年間に、ざっと二億円をかせいだ勘定になる。
二億円の売り上げは、一冊二百円の「英語に強くなる本」なら百万部に相当する。しかも、リンガフォン・レコードをイギリスから輸入、販売してきた日本リンガフォン協会(日本語学教育協会ともいう)は、全社員五十人という小会社にすぎない。

この記事によると築井健人は「戦前、東京の麻布中学で英語を教え、教育界では名の通った人物」で(※3)、「東京・京橋にある千代田生命ビルの一室で、この仕事を始めた。社員はたった五人。昭和二十四年の夏だった」とある。前述の東西出版社の住所と電話番号は「中央区京橋千代田ビル内・電話京橋 七七一○」。「国立国会図書館デジタルコレクション」で日本リンガフォン協会の住所と電話番号を調べると「日本リンガフォン協会 東京都中央区京橋(千代田館)電(281)7711」。この記事からは東西出版社が倒産した頃に、同じビル内で英会話レコード販売に乗り換え、成功を収めたことが伺える。
内幕記事は築井亡き後(昭和33年没)に、日本リンガフォン協会がイギリスのリンガフォン協会に販売網を乗っ取られた経緯を記しているが、その辺りは本稿の本筋から外れるので、ご興味の向きはご自身で記事をお読み下さい。
それより日本リンガフォン協会=日本語学教育協会ということで、「国立国会図書館デジタルコレクション」で「日本語学教育協会」を検索すると、改造社/橘書店の橘徳(評論家・立花隆の伯父)の経歴が引っかかってきた。のちランゲージ・サービス社という会社を経営した橘が、その前に英会話レコード販売会社に居たという事実に「なるほど」と思うのだった。

※3 『横浜事件再審裁判を支援する会』No.28(1995.9.15)掲載の佐藤宏「よき友を偲んで」の中に「大学の教職を去って名古屋の一会社にいた小野〔康人〕君の実兄であり、ジョイスの『ユリシーズ』の森田草平を中心とする訳者グループの一人でもある築井健人」という記述があり、調べると『ユリシーズ』翻訳時は小野健人。小野の名前で調べると『帝都大学評判記』に「小野健人は関口存男の最初の書生」とある他、訃報が載った『英語青年』誌の彙報欄にたびたび動静が掲載されていた。また、弟・小野康人の妻である貞の共著『横浜事件 妻と妹の手記』(高文研、昭和62年)の中にも、小田原に住む主人の実兄Cの記述があった。「義兄は法政大学の出身で、〔平貞蔵〕先生が同大学の教授をしておられるときにお知り合いになり、親しい間柄だった。主人を先生に最初に紹介したのもこの兄だったことは、前に書いた。義兄は当時、上海にある会社の専務とかで、上海と内地の間を往き来していて、時には軍の飛行機に便乗することもあったらしい」(p96)。弟の保釈金をぽんと出してくれ、羽振りが良かったようだ。

 

○築井健人(ちくい・たけひと)

旧名=小野健人(おの・たけひと)

東西出版社代表取締役 日本リンガフォン協会会長
明治37年(1904年)9月30日~昭和33年(1958年)2月2日
【出身地】群馬県
【学歴】法政大学〔昭和3年〕卒
【経歴】戦前、東京の麻布中学で英語を教え、岩波文庫に収められたジョイス『ユリシーズ』の森田草平を中心とする訳者グループにも参加(小野健人名義)。昭和20年10月東西出版社を創立、代表取締役。朝永振一郎『量子力学 第1』らを含む〈現代物理学大系〉や『金瓶梅』『カンタベリ物語』などの古今東西の名著を収めた〈もだん・らいぶらりい〉などを出版。ジョン・ハーシー「アダノの鐘」もヒット、24年頃まで出版活動を行う。同年夏に英国製の英会話レコード「リンガフォン・レコード」を販売する日本リンガフォン協会(日本語学教育協会)を開設、“語学は耳から”をキャッチフレーズにレコードとテキスト、日本語解説書をセット販売して英会話レコード市場を開拓した。横浜事件に巻き込まれた編集者の小野康人は実弟。
【参考】『出版ニュース』1949.8.21、『日本紳士録』50版、『英語青年』1958.4.1、『週刊読売』1961.11.19

 

○松井巻之助(まつい・まきのすけ)
学芸社創業者 みすず書房監査役 科学翻訳家
大正2年(1913年)7月13日~昭和59年(1984年)7月28日
【出身地】長野県小諸
【学歴】東京文理科大学理学部物理学科卒
【経歴】青森師範学校、陸軍予科士官学校で教鞭を執った後、昭和19年母校の東京文理科大学に戻り物理学教室研究員嘱託となる傍ら、学習院高等科の講師も務める。21年東西出版社に入社、〈現代物理学大系〉の1冊として恩師である朝永振一郎の『量子力学 第1』を出版。24年同社が倒産すると個人出版社の学芸社を起こしたが、27年みすず書房に入社。学芸社の自然科学書はみすず書房に引き継がれ、「朝永振一郎著作集」(全12巻)も刊行した。科学書の翻訳で知られ、訳書にスノー「二つの文化と科学革命」、ユンク「巨大機械」、編著に「回想の朝永振一郎」などがある。
【参考】『小尾俊人の戦後』宮田昇【著】/みすず書房/2016.4、『出版クラブだより』1984.8.10

 


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