皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第14回 九州の名門書店・小倉宝文館の孫娘だった中尾ミエ、そして研ナオコの芸名の由来

河原努(皓星社)

 

■歌手の中尾ミエは書店の娘

歌手の中尾ミエ(75)が(筆者註・令和4年5月)13日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。子供の頃の苦しい生活を振り返った。

福岡県出身だが「うちも典型的な2代目で、遊びほうけて身上をつぶしちゃった人ですから。だからもうあたしが働かざるを得なかったから」と中尾。黒柳が「引っ越すたびにうちが小さくなっていったんですって」と話すと、「そうそう。東京に出て来てね、顔を売る度に家が小さくなっていっちゃって」と明かした。

「しかも長生きしちゃった。93まで生きましたからね。結局6人も子供がいるのに、あたしが最後まで一緒に暮らして。本当に幸せな人だと思いますよ。自分はただ商売つぶして、あと娘が生活の面倒みてくれて」とも語った。

 

この、「商売をつぶし」てしまった中尾ミエの父こそ、戦前、福岡で有力書店だった小倉宝文館の店主だったのだ(※1)。

 

※1 上記引用元は次の記事

 

■お久しぶりです!中尾さん

「出版クラブだより」をめくっていると平成16年4月1日号に「お久しぶりです!中尾さん」という小さな囲み記事があった。「みんな元気か? 大きな声に一足遅れて、なつかしいお顔が事務局に現れた。中尾邦典氏(元小倉宝文館、歌手中尾ミエさんの父上)御年九十三歳」「しばし同時代の出版人達の思い出話の後、身体で悪いところは足の水虫だけだ。もうこれないかもしれんががんばれ!と力強い激励をいただいた」とある。

今は亡き小倉宝文館、さて小売書店の資料は少ないがどう調べようかと考えると、連載第3回でも利用した田中治男『書店人国記』の第3巻が福岡編で、中に「名門、小倉宝文館始末記」が書かれていた! 4巻で中絶したこの本、以前もそうだがたまたま必要となった県が残されていて助かった。以下、同書を参照して小倉宝文館の盛衰を見ていこう。

 

 

■九州の名門・小倉宝文館の盛衰

北九州市の小倉にあった小倉宝文館は、大正12年柏佐一郎率いる大阪宝文館の九州出張所として誕生。柏は同地で小売書店の中尾書店を営んでいた福岡積善館出身の中尾峰次郎に協力を要請、15年初代所長の転出により中尾が所長に就任すると中尾書店は出張所の小売部となった。以来、手腕を振るって久留米の菊竹金文堂、佐賀の大坪惇信堂と並ぶ“九州を牛耳る三傑”と呼ばれるまでの取次小売業に育てあげたものの、昭和14年取次部門は九州書籍販売に改組、16年日本書籍配給(日配)が誕生するとその小倉営業所として吸収され消滅した。小売部は峰次郎の長男・邦典が継承、法人格を取得して株式会社小倉宝文館となり、戦時中は金栄堂・更生堂と合併して配給された書籍・雑誌の販売所とされた。

一代で小倉宝文館を築いた峰次郎は24年に没したが、後を継いだ邦典は頭は切れるものの典型的な坊ちゃん育ち。「人に頭を下げることがキライ、お世辞を言うのがキライ、弱味を見せるのがキライ」(p166)ときていて、5年間にわたって税金を納めていなかったことを税務署に咎められると、これを木っ端微塵にやっつけて得意になっていたら、巨額の追徴課税を課された。税金を納めるには儲けの多い仕事をするに限る、邦典はあっさり書店業に見切りを付けてパチンコ屋に転じたのだった。

 

■昭和20年代後半、書店の副業にパチンコが流行る

「帆刈出版通信」昭和27年1月10日号に「小倉宝文館 パチンコ屋となる」という記事があった。手元のノートに拠ると「26年末に中尾邦典は小倉宝文館を閉めた。教科書のみは自宅で扱うが、閉めた店舗は改装して流行のパチンコ屋に」とある。しばらく後に豊橋市の精文館書店もパチンコ屋を併設して人気、という記事もあり、この時代に書店の副業としてパチンコ屋が流行ったのだな、と思っていたが、まさか税金を支払うために転業していたとは思わなかった。

邦典は、30年にはパチンコ屋を閉め宝文館の土地建物を譲渡、32年には自宅も売り払って千葉県市川に転居(※2)。こうして小倉宝文館は消滅した。邦典の三女で、峰次郎の名前から名付けられた美禰子が“中尾ミエ”の芸名で歌手として成功を収めるのはこれ以降の物語となる。

なお、宝文館が行っていた教科書販売は誰かが継がねばならぬ、ということで峰次郎の妹の二男(邦典の従弟)である中尾礼隆が新たに中尾書店を創業、現在も営業中のようである。

 

※2  インターネットで「中尾邦典」を検索すると判例データベース「大判例」の「福岡地方裁判所小倉支部 昭和31年(ケ)114号」が出てくる。東販が中尾らと不動産抵当権を争った一件のようだ。

 

■前号編集後記の予告通りに書けた訳だが……

弊社メールマガジン前号(13号)の編集後記で予告した「歌手の中尾ミエは書店の娘」、なんとか連載の分量に膨らませることができた。その13号の発行日は(令和4年)6月24日だった訳だが、その日帰宅してテレビをつけると、予告したばかりの中尾ミエの少女時代を取り上げた番組(テレビ朝日系のバラエティ番組『激レアさんを連れてきた』の2時間スペシャル)をやっていて仰天した。期待して見るも “極貧少女時代”と芸能界入りの背景として触れられただけで、どういう家に育ったかという部分はなかった。残念。

以前から気に入っている番組で “芸能界強レア大先輩として中尾ミエさん・研ナオコさん・平野レミさんが揃い踏み”という内容から引き続き見ていたら、研ナオコが芸名の由来を「事務所の親会社が研究出版といって競艇の専門紙を出していて、その「研」なの」といっており、二つの意味でハッとした。一つは研ナオコも出版がらみだったのか? ということ。もう一つは……とある事実が腑に落ちたということ。

 

■(余談)研ナオコと究トモコ、そして「研究」出版社

私は中学生の頃から山本正之というシンガー・ソングライターのファンで、提供曲などを集めた『山本正之作品大全集』という3枚組アルバムを持っており、その中に究トモコ「男の本懐」「学園音頭」という曲が入っている。ライナーノーツに「研究音楽出版社の社長室で、明るく元気な女の子を紹介された。社長曰く「以前我が社に所属していたナオコの妹分ということで、芸名を究トモコにしました。朗らかでちょっとエッチな歌を書いてやってください」と書かれていたことを覚えていた。購入25年にして「研究出版だから研ナオコと究トモコなのか!」と、今更ながら腑に落ちたのだった(※3)。

研究出版をインターネットで検索すると現存する会社で、出版社というよりは同社ホームページの冒頭に「ボートレース予想の専門紙-ボートレース研究」とあるように、競艇予想紙の業界新聞社のようだ。「国会図書館オンライン」で調べても書籍は出していないので、『出版文化人物事典』の収録対象外になる(新聞業界なので)。ところで同社の会社沿革に「昭和48年10月 音楽事業部設立」とあり、続いて「昭和61年1月 音楽事業部が(株)研音として独立する」とあった。私が前社時代に手がけていた人物情報の構築には芸能人も含まれているので芸能事務所の相場観もそれなりにあるのだが、研音はかなり大手の事務所。そうか、研音の母体は競艇の予想紙なんだ……。

それにしても今回はパチンコ、競艇とギャンブルがらみが続いたが、実は競馬と出版人にも浅からぬ縁がある。そちらについては、私が参加している同人雑誌『二級河川』の競馬特集号(24号)に盟友の堀川秋海が新連載「競馬の妖力に憑かれた人々」の第1回として文芸春秋創業者の菊池寛を取り上げている。次回は非凡閣創業者の加藤雄策について書く予定だそう。

 

※3 研ナオコのエッセイ集『家族リレー』(近代映画社、平成14年)や、「Web OYA-bunko」を検索して国会図書館で確認できたインタビュー記事などを探したが、芸名について文献的な裏付けは取れなかった

 

○中尾峰次郎(なかお・みねじろう)

大阪宝文館九州出張所長 中尾書店創業者

明治22年(1889年)5月25日~昭和24年(1949年)10月16日

【出生地】福岡県八女郡羽犬塚町久富(筑後市)

【経歴】明治42年福岡市の積善館福岡支店に入社、45年小倉出張所の主任を命じられる。大正5年福岡積善館が閉鎖されると妻の出身地である小倉にとどまって小売書店の中尾書店を設立。12年柏佐一郎率いる大阪宝文館が九州に進出すると柏の協力要請を受け、西部久三郎所長を援けた。15年西部の転出によって大阪宝文館九州出張所長に就任、中尾書店は同所の小売部となる。昭和5年福岡県書店組合副組長。手腕を振るって小倉の宝文館を久留米の菊竹金文堂、佐賀の大坪惇信堂と並んで“九州を牛耳る三傑”と呼ばれる名門に育てあげた。昭和14年同所の取次部門は九州書籍販売に改組(三省堂から派遣された田中孝知が代表者に就任)、16年日本書籍配給(日配)が誕生するとその小倉営業所として吸収され、同じく三省堂出身の綛野和一郎が所長となった。小売部は峰次郎の長男・邦典が継承、法人格を取得して株式会社小倉宝文館となり、自身は相談役・会長の立場で息子を援けつつ、県組合の仕事に没頭した。24年60歳で亡くなった後、邦典の代で小倉宝文館は閉店。31年妹の二男である中尾礼隆が教科書供給業務のため新しく中尾書店を創業した。峰次郎の名前から名付けられた邦典の三女・美禰子は、中尾ミエの芸名で歌手として成功を収め、現在も活躍中。「文化通信」昭和24年10月31日号によると10月14日没、「福岡地方裁判所小倉支部 昭和31年(ケ)114号 決定」によると10月16日没。

【参考】『書店人国記 第3巻』田中治男〔著〕/東販商事/1984.7

 


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