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松本麗華のお悩み相談室を再開します

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こんにちは、大変ご無沙汰しています。松本麗華です。

 

今から4年ほど前、皓星社の晴山生菜さんから、
「麗華さんは、オウム真理教や事件、お父さまの文脈で語られてしまう。でも麗華さんは元々カウンセラーですよね。本来の麗華さんを出していきましょう」
というお話をいただきました。
この企画は皓星社webコラム「松本麗華のお悩み相談室」となり、第一回「『もう死にたい』と言われたら」は2018年4月25日に掲載されました。
これまで勉強してきたことや、経験してきたことを振り返りながらも、様々なご相談にお答えできたら――と、そう思っていました。

 

しかし、当時の状況から、連載を続けるには体力面・精神面ともに余裕がなくなってしまいました。
父の死刑執行が近いという話が方々から聞こえ、マスメディアもまたそれをにおわせる報道がひんぱんになされるようになりました。
精神科医の先生方によると、父は外的刺激に反応できない昏迷の状態でした。実際に父は、自分が面会室にいることも、娘が目の前にいることさえ気づいてはいませんでした。
もう一度父と話したい。名前だけでも呼んで欲しい。そう願っていたわたしは、日中は父の治療を求めて奔走し、夜は朝に執行の連絡が入るかもしれないと怯えながら、浅い眠りにつきました。

 

当時、死刑の執行は平日の朝9時に行われると言われていました。金曜日の午後から土日は怯えなくてもよい安心日。だけれど、休日の朝9時ごろに電話が鳴り、叫びながら飛び起きてしまうこともありました。
冷や汗と早鐘のように打つ心臓。ぶるぶると震える手から落ちるスマホ。泣きながら、明日の恐怖を思うのです。
何もわからないまま殺されてしまうかもしれない、わたしのお父さん。お父さん、生きて。死なないで。
父よりも先に死にたい。死刑という形で父を見送りたくない。そう願っていました。

 

第一回目のコラムが掲載された2ヶ月後、父の死刑が執行されました。お兄さんと呼んでいた12人の友人・知人も全員が執行されました。
2018年7月6日、取材を受けるため早朝に家を出てふとTwitterを見ると、画面にテレビのキャプチャー画像が張られていました。父が執行されたというのです。
「麗華さん大丈夫ですか?」
とTwitter上にコメントが入っていたと記憶しています。
わたしはスマホを見ながら、何とタチの悪い嫌がらせをしてくるのだろうと思おうとしました。信じたくなかった。それでもわき上がる恐怖を抑えられず、体を震わせながら、急いで家へ戻りました。
姉の元には、父の弁護人の事務所から、午前7時49分に「今日危ない」という連絡が入っていました。
わたしは姉と二人で、すぐに東京拘置所に行くことにしました。この時点では、まだ本当に執行があったのかどうか、家族であるわたしたちにもわからなかったのです。
出がけに、知人からすでに報道されている、という連絡がLINEにありました。見てみると、「オウム真理教 松本智津夫死刑囚に死刑執行」と書かれていました。
こうして家族は父の死刑が執行され、つまり殺されてしまったことを知りました。マスメディアの報道によって。
父を迎えに東京拘置所の近くに行き待っていましたが、ついに父を家に連れて帰ってあげることはできませんでした。
この日、父を含め7人が亡くなりました。

 

7月26日に行われた二回目の執行では、「宮前さんがすでに連行されていった」とリアルタイムで情報が入って来ました。がせ情報であることを、一人でも生き残ってくれることを祈る中、祈りをあざ笑われるかのように一人、一人と殺されていきました
彼らの名が生者から死者のリストへ加わっていくのを死刑の執行と同時進行で知るのはあまりにつらく、目を閉じ、耳を塞ぎ、目を背けてしまいたかった。
横山真人さんは誰も人を殺していない。横山さんは助かるかもしれない。――誰かひとりでも助かることを、祈り、願っていたのです。

 

そうして残っていた6人が殺され、父を含めて13人が亡くなりました。大好きでたまらなかったお父さん。トランプで遊んでくれたお兄さん、泣いているわたしを抱いてあやしてくれたお兄さん、みんな死んでしまいました。
お兄さんたちはご遺体やご遺骨となり、ご家族や教団の元に帰っていきました。
しかし、わたしの元に父は帰ってきませんでした。追い打ちをかけるように、無実の弟が殺人予告の脅迫犯として虚偽告訴されました。それでも、生きようと必死であらがいました。このままではきょうだいで共倒れになると一生懸命に職を探し、生きる道を探しました。でも、銀行口座が作れなかったり、生まれが理由とされて仕事を離職しなければならなかったりと、心身の休まらない日が続きました。

 

2020年冬、そろそろカウンセリングを受け喪失感と向き合っていこうと思ったころ、コロナの影響もあり、以前お世話になったカウンセリングの先生が引退されてしまいました。わたしは途方にくれ、誰に相談したらいいのだろうと考えました。そのときに、何度もメールで「松本麗華さんに相談できる場所はどこですか」と問い合わせてくださっている方のことを思い出しました。同じように途方に暮れていらっしゃるのかもしれない。 ずっと考えていた自分のカウンセリングルームを開設しようと決めました。こんな状態でできるのだろうかという不安はありましたが、自分のケアをしながらできるだけのことをしていこうと思ったのです。2021年5月、こころの暖和室あかつきをはじめました。

 

――あの日から四年。

心にうがたれた穴は深く、今も塞がってはいません。なぜ生きているのかを、いくども自問しました。わたしにできることなど、あるのだろうか。生きる必要がそもそもあるのだろうか。
もう死にたいと思っても言葉にできないときに、「死にたいって言っていいんだよ」と言ってくれる人がいました。つらいとき、様々な方たちからの励ましや、お支えをいただきました。支えられてやっと生きているのが今のわたしです。

 

今年の六月上旬、晴山さんから「松本麗華のお悩み相談室」を再開しませんか、と打診をいただきました。「4年前にお悩み相談を始めたときよりも、世界は生きづらくなっているかもしれない。コロナ、戦争、差別、行き詰まった生活。そんな中、麗華さんの相談室に興味を持って訪れてくれているのではないか。もう一度やってみませんか」と。
第一回目のコラム「『もう死にたい』と言われたら」は、今も少なくない方がアクセスを続けてくださっているのだそうです。
わたしは第一回目の相談の中で「死にたい」と仰っていた方が元気に活躍されているのを聞き、やらせていただこうと決心しました。ただ呼吸をするだけの生から、積極的な生へ。
わたしにできることがまだあるのかもしれない。父がいなくなった後の人生を生きないといけないのかもしれない。

 

わたしはこれまで、希死念慮をかかえつつ、生きるためにあがいていました。
おそらく、そんな方が他にもたくさんいらっしゃると思います。思い悩んでいるとき、どうか心のなかにため込まないでください。
「こんな悩み、麗華さんに相談していいんですか」と聞かれることもあります。お悩みに軽いも重いもありません。小さいも大きいもありません。どれも大切なお悩みです。
少し相談してみたい、こういう悩みを松本麗華ならどう対処するんだろう。そんな好奇心でも、つらいこと、悲しいこと、喪失や悩みを「松本麗華のお悩み相談室」にお寄せ下さいね。

 

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松本麗華(まつもと・りか)
松本麗華(まつもと・りか)

1983年4月生まれ。2015年3月、自身の半生を振り返る手記『止まった時計』を出版。執筆の他、こころの暖和室あかつきにて相談員として活動中。文教大学臨床心理学科卒。日本産業カウンセラー協会所属。現在は、自身が「犯罪加害者」の家族として歩んできた経験を元に、生きづらさ、社会的マイノリティなどについて弱者の立場に立った意見をツイッター・ブログ、執筆活動、イベントなどで発信している。

ブログ:自由をもとめて
Twitter:松本麗華@RikaMatsumoto7