皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第一回 連載にあたっての前口上、ならびに双林社の小野忠重

河原努(皓星社)

■余は如何にして近代日本出版史の基礎情報整理を始めし乎

昨年、約20年勤めた日外アソシエーツから皓星社に移籍した。前の職場では人物データベースの構築に携わる傍ら、その派生として様々な人名事典の項目執筆に関わった。その中でも編集者兼執筆者として最も主体的に関わった本の一つが『出版文化人物事典 : 江戸から近現代・出版人1600人』(平成25年)である。出版史はほぼ素人だったが、恩師の稲岡勝(明治出版史)を監修者にお迎えしたので「師の顔に泥を塗ることが無いように」と半年間の休日をほぼ全てつぶして作業にあてた。大学では学科が違うため一般教養で書誌学を教わった程度、そもそも出版史という授業は無かったはずで、卒業して十余年は、年に数回ご連絡を差し上げて散歩に同行させて頂くという(出版史家としての門人ではなく)話の合う“若い友人”としての間柄。しかしながら、さすがに半年間集中して資料調査・原稿執筆をすると、ぼんやりとこの分野の輪郭が見えてきた。

以来ようやく“弟子に似たもの”になったが、もとより学者になる頭の良さも、そのつもりも無い。せいぜい職能を生かして点在する情報を集積・整理するのが関の山、乗りかかった舟だからと前掲書の刊行後は将来の改訂を見据え、『図書週報』『トーハン週報』などの業界紙誌に掲載された出版人の訃報一覧や出版社の自社広告一覧、公職追放を受けた文化人リストなどを仲間内の同人雑誌に筆名で発表してきた。学者は論文を書くのが第一義だからか、そもそも出版史の研究者自体が少ないためか、そういった“まとめ仕事”をする人がこれまでいなかったようで、恩師をはじめ何人かの敬愛する先達からそれらの仕事を認めて頂けた。

 

■連載名の由来

いつか恩師に同人雑誌をお渡しすると、こう仰った。「私も研究同人誌でも出そうかな。名前だけは考えた。『趣味の出版史』というんだ。西園寺公望も愛読したという(金港堂の)新保磐次の名著『趣味の日本史』から拝借した」。僭越ながら拝借の拝借で、本連載を「趣味の近代日本出版史」と題した由縁である。

 

■版画家・美術史家の小野忠重は出版人でもあった

この春、練馬区立美術館で「電線絵画展-小林清親から山口晃まで-」(令和3年2月28日~4月18日)という展示をやっていた。ペリー来航時の電信実験のスケッチから山口晃の漫画原稿、「電線音頭」のレコードまで縦横に展示されており面白く見てきたが、一番目を引いたのは藤牧義夫「隅田川絵巻」という巻物だった。作者の藤牧は没年不詳のようで、近代の人物にしては珍しいなと帰って調べると、藤牧はある日突然失踪しており、その謎を追究した駒村吉重『君は隅田川に消えたのか―藤牧義夫と版画の虚実』(平成23年)というノンフィクションが出ていることがわかった。一読、いやいやこれは…事実は小説よりも奇なりのミステリー。藤牧の人生に大きく関わる人物として版画家・美術史家の小野忠重が登場するのだが、小野についての記述に戦時中に双林社という出版社をやっていたとあった。意外なところで出版に関わっていた人物を知ることができると、うれしい。早速、他の資料にも当たって「人物事典」の項目として書き上げた。愉しい。やっぱり趣味である。

 

○小野忠重(おの・ただしげ)

版画家・美術史家 双林社創業者

明治42年(1909年)1月19日~平成2年(1990年)10月17日

【出生地】東京市本所区小梅瓦町(現・東京都墨田区向島)

【学歴】早稲田実業学校〔昭和2年〕卒→法政大学高等師範部国語漢文科〔昭和16年〕卒

【経歴】酒類食品販売商の一人息子。創作版画に目覚め、昭和4~5年プロレタリア美術大展覧会に出品。7年武藤六郎、藤牧義夫らと新版画集団を旗揚げ、12年同集団を改組して造型版画協会を設立・主宰した。傍ら、黒田源次の著書『西洋の影響を受けたる日本画』に触れて感動したことをきっかけに黒田に師事し、美術史家としても活動。16年幸地貞子(前妻の死後に再婚)と美術系出版社・双林社を創業、自著『日本の銅版画と石版画』『支那版画叢攷』や編著『万国渡海年代記』『紅毛雑話』『マテオ・リッチと支那科学』、内田六郎『硝子絵』、伊藤廉『イタリア日記』などを出版したが、戦時の企業整備のために廃業。戦時中は南洋団体連合会に勤務、20年召集を受けるが2週間で解除、幸地の実家がある疎開先の岡山県津山で敗戦を迎える。戦後は21年旧知の大下正男が社長を務める日本美術出版(現・美術出版社)に入り、29年まで勤務。以後は版画家、美術史家としての仕事に専念した。31年東京・銀座養清堂画廊で初の個展を開催。36年岩波新書『版画』を発刊。38~52年東京芸術大学絵画科版画研究室講師。他の著書に『版画技法ハンドブック』『版画事典』『近代日本の版画』『本の美術史―奈良絵本から草双紙まで』などがある。

【参考】『小野忠重全版画』小野忠重〔著〕・小野忠重版画館〔編〕/求龍堂/2005.11、『君は隅田川に消えたのか―藤牧義夫と版画の虚実』駒村吉重〔著〕/講談社/2011.5、『日本美術年鑑』平成3年版

 

本連載では、基礎情報の収集・整理のため足踏みを続けている『出版文化人物事典』改訂版の筐中から原稿を拾い上げて公開したり、同書調査の過程で気がついたことなどを書いていく予定です。乞うご期待。

 


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