皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第3回 当世実業家の息子づくし

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稲岡勝(明治出版文化史)

 

〇文献配達人坂本寛のこと

もっとも著名な文献配達人といえば、本郷の古書店ぺりかん書房の品川力であろう。なじみの作家や学者のために必要文献を探し出して提供し続けたことはよく知られる。一方の文献配達人坂本寛はほとんど無名である。『書国畸人伝』の現代版ともいえる南陀楼綾繁『古本マニア採集帖』(皓星社 2021年)にも載っていない。ことによると彼はシャイな性格故に取材を断ったのかも知れない。

坂本は早大文学部、図書館短大別科を出て東京経済大学図書館に就職。非凡なのは四十年の在職中有給休暇の全てを古書展通いに費やしたこと。それは退職後も続いて今日に及んでいるから、収集した図書雑誌類はとてつもない量にのぼることだろう。聞けば3LDKのマンション居室を書物蔵にして、夫子自身は親の家に移ったそうだ。蔵書にはどのような資料があるのか本好きなら誰でも気になるものだ。近代出版研究所の小林昌樹所長や河原が再三見たいとお願いしても、ガードが固く決して応じてくれないらしい。その代りなのか、ことのついでに知友の探求書や必要情報を恵んでくれることがある。坂本寛を文献配達人と呼ぶゆえんである。

『東京経済大学百二十年史』の編纂(資料編第1、2巻既刊)に際しては、適材と見込まれて創立者大倉喜八郎の文献調査を委嘱された。凝り性な彼のことだから、人の気づかない細々した資料までも拾い集めたらしい。そのせいか『百二十年史』にはあまり使用されなかったとボヤいていた。

 

〇『実業少年』と編輯発行人石井研堂

標記「当世実業家の息子づくし」の記事も、実は文献配達人坂本寛が仕事がら『実業少年』第二巻第四号(図版参照)から発掘したもの。しかも大倉喜八郎の記事を見つけただけではない。金港堂関係文献にも目をとめて、小生のためにわざわざその一文(別項参照)をコピーして贈ってくれたのである。

『実業少年』は職業少年の健全育成を目指して明治41年1月に博文館が創刊した月刊誌。編輯発行人には石井研堂を起用、かって小学雑誌の大王と言われた『小国民』の編輯主筆を務めた経歴があり適材と言えた。詳しいことは山下恒夫『石井研堂—庶民派エンサイクロペディストの小伝』(リブロポート 1986年)を参照されるとよい。この書は面白くよく出来ていて、リブロポートの新シリーズ《民間日本学者》の第一回配本であった。《民間日本学者》シリーズのラインアップを見ると、ずいぶん興味深い人物が並んでいる。いま朝ドラで話題の『牧野富太郎』(渋谷章著)も入っている。

〇特集記事「当世実業家の息子づくし」(実子養子跡取のいろいろ)

この特集は「大倉喜八郎氏長男大倉喜七郎氏、渋澤栄一氏長男渋澤篤二氏、森村市左衛門氏の跡取森村開作氏」など、今を時めく著名実業家の親子二十二組の経歴、活動、挿話を紹介するもの。一部の人物には口絵肖像つき。ただし取材の便宜次第らしく記事は長短、詳略まちまちで役に立たないものもある。ここでは全ての親子を紹介する余裕はないから、関心の向きは国会図書館で閲覧されたい。中で最も興味を引かれるのは「永井久一郎氏長男 永井壮吉氏」であろう。ことによると永井荷風文献の逸文かもしれない。

〇原亮三郎氏の跡取 原亮一郎氏

教科書々店として有名な原亮三郎氏は、実業界名高い子福者で十一男六女ある。亮一郎氏は実にその長男で、明治二年二月の生れ、高等商業学校に居られたこともあつたが、その後英国に渡つてサミユル商会に執務し、今は金港堂書籍会社々長と上海の新学書院の重役を勉めて居らるゝ。体躯肥満、普通の一人乗人力ではとても乗れないさうだ。好きなものは囲碁。(『実業少年』第二巻第四号、四~五頁)
上海の新学書院は明らかな誤りで、正しくは金港堂と合弁した商務印書館である。なお釈宗演は一年に及ぶ欧米漫遊の帰途上海に寄港し、上海虹口の私邸に原亮一郎を訪ねている。二人は同道して仏租界南端の豪邸に山本条太郎(三井物産上海支店長)を訪問。あいにく山本は帰朝して不在だったが、妻の操子(原亮三郎三女)が晩餐を饗するなど歓迎した。(釈宗演『欧米雲水記』金港堂書籍 1907年)

 


稲岡勝

1943年、上海生まれ。早稲田大学政治学科および図書館短期大学別科卒業、1972年から東京都立図書館勤務。1999年から都留文科大学国文学科教授情報文化担当、専攻は明治の出版文化史。弊社刊の『明治出版史上の金港堂 社史のない出版社「史」の試み』(平成31年)で第8回ゲスナー賞銀賞、第41回日本出版学会賞を受賞。

 

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