皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第2回 金港堂の大番頭岩田僊太郎のこと

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稲岡勝(明治出版文化史)

 

ひと昔前のこと、河原努と『出版文化人物事典』(日外アソシエーツ 2013年)なる手間ばかりかかる厄介な事典づくりをしていた。ある時河原が勢い込んで言ってきた。

「岩田僊太郎の没年がわかりましたよ!」

「本当かよ、なにに出ていた?」

「『出版年鑑』昭和29年版の訃報欄に、昭和28年1月18日と」

河原がコツコツと出版人の訃報調査をしてデータ入力していることは知っていた。かくも早く効験あらたかとは、いささか驚いた。「『出版年鑑』掲載全訃報一覧」(近代出版研究叢書・資料編1)は、言うまでもなく彼の地道な努力の結晶である。

〇晩成処主人岩田僊太郎

金港堂関係資料の発掘をしていると、埋もれて忘れられた生え抜き社員の活動も自然と目に入って来る。杉山辰之助(金昌堂)、大野富士松(大野書店)、岩田僊太郎、やや遅れて藤原佐吉(仙台金港堂)などのことである。とくに岩田僊太郎は会計主任など支配人として本店経営に重きをなしたようだ。明治30年には系列会社帝国印刷(株)の取締役、ついで専務になっている。
金港堂が左前になると各々は独立して出版稼業を続ける。岩田僊太郎は晩成処を開き、主に美術教育関係書を出版した。具体的な個別の出版物については、国会図書館サーチを検索すると219件も出てくる。注意したいのは岩田仙太郎、この方も実は同じ人物だから忘れずに引くこと。明治十年代に教科書類の編輯をしていたようだ。僊と仙、音が共通なら別字を使うことはよくあることで、例えば絵草紙店鶴喜の堂号は「僊(仙)鶴堂」のごとし。
大正末には私財を投じて財団法人図画教育奨励会を設立、美術学校など諸団体に寄付金を贈り続けた。これら岩田僊太郎の活動は、正木直彦『十三松堂日記』全4巻(中央公論美術出版 1965~66年)から拾うことが出来た。正木直彦は東京美術学校校長を30年も勤めた美術行政の大ボスである。二人は早くから面識があったようで、旅行先でバッタリ邂逅したりもしている。

〇漢詩人岩田鶯崖

「余業餘事吟哦素浅薄卑陋加以晩学可嗤耳・・」(『寿山集』自序、図版を参照)
岩田はまた鶯崖と号し、仕事の傍ら吟哦(詩歌をうたう)を事としてきた。自作の漢詩を集めた『鴻爪録』(昭和3年)、『雪泥集』(昭和5年)、『杖国集』(昭和7年)などを自費出版していた。七十歳(杖国)の感懐を全国の詩友に披露すると、唱和する者なんと百数十名に上った。これらの詩稿を活版印刷し帙入り唐本仕立にしたものが『寿山集』(昭和8年11月)である。国会図書館に無い本なので、浅倉屋書店から求めたが、同店の目録に「近重物安旧蔵」とある。物安近重真澄(1870~1941)は無機化学者で京都帝国大学教授、同大化学研究所所長、日本化学会会長も務めた斯界の大物。『寿山集』63丁ウには、物菴近重真澄の寄せた七言律詩があり、その中で「印書伝道拡公益。散宝救生勝昔賢。」と岩田僊太郎の出版事業をたたえている。昔の学者は専門の外に韻事を楽しむ余裕があったようだ。今の大学屋さんはどうだろうか。タコツボに安住して、そこが世界のすべてとばかりに「吞気な商売やめられない」らしい。
余談だが、たしか上野辺の美人争奪戦で金港堂の番頭にさらわれたと、宮武外骨が忌々し気に述べた一文があった。この艶福家はもしかすると岩田僊太郎ではあるまいか。彼は長く上野桜木町に住んでいたからである。

 

〔図〕『寿山集』帙題簽、自序、肖像

 

〇放出された旧蔵資料類の行方

ある時(有)中野書店の目録(『日本古書通信』722号、1989年9月p44)を見て驚いた。 岩田僊太郎の旧蔵資料類一括が放出されたとおぼしく、以下のように載っていた。
尺牘拾遺 書肆金港堂主・岩田僊太郎宛書簡、詩稿集」約430種8冊(明治20~昭和30年頃まで) 宛先が鶯崖と号する漢詩人でもあるため、土谷竹雨、服部恒風ら漢詩人の書簡、詩稿が圧倒的な分量であるが、文学者、画家らのものもかなり含まれている。著名な人では、高山樗牛二通、落合東郭、藤島武二、中沢弘光、松林桂月、川田順、三上参次等々、いづれも墨筆、長文多し、以下樗牛の一通のみ紹介する。
樗牛書簡十数行分が活字に起されていて、その要旨は尋常中学倫理教科書校閲の件、井上博士に相談したところ十分の助力賛成を得たので、教科書編輯の任につく決心をした。早速編輯上の契約を結びたいので、その文案を示してほしい云々。 廿九年七月九日 高山林次郎。
この資料のお値段なんと250万円、バブルの最中とは言え随分強気な設定である。ところが4年後「第14回小田急古書の街」展(1993年2月10日~14日)では、同じものが再出品されて今度は驚く勿れ450万円とほぼ倍額に。この情報は明大図書館の飯澤氏がファクスで教えてくれたのだが、とても手の出るような値付けではない。
その後この旧蔵資料には買い手がついたのかどうか。その行方は皆目見当もつかないが、散逸せずに何処かの機関に収蔵されていることを期待したい。(了)

 


稲岡勝

1943年、上海生まれ。早稲田大学政治学科および図書館短期大学別科卒業、1972年から東京都立図書館勤務。1999年から都留文科大学国文学科教授情報文化担当、専攻は明治の出版文化史。弊社刊の『明治出版史上の金港堂 社史のない出版社「史」の試み』(平成31年)で第8回ゲスナー賞銀賞、第41回日本出版学会賞を受賞。

 

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