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青と黄色をまとわずに 尾松亮さん(東洋大学客員研究員)

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かれこれ20年以上、通信社やシンクタンクに勤務しながらロシアやウクライナのエネルギー政策や社会制度を調査してきた。今年2月以降、「現地ではどうなっているのか」という問い合わせをいくつものプレスから受けている。

苦しすぎる事実だが、戦争が起きてからその国に興味を持ち、連日悲劇の映像を注視しても、私たちが戦争を止めるためにできることはほとんどない。「平和のために」と正当化される行動が、失われる命、飢える人々を増やさないことを願っている。そこに加担せずに今の状況を語る言葉を探している。

 

私たちは「ウクライナとともに」何をどこまでやるのか

テレビ局のキャスターがウクライナ国旗のデザインのネクタイをし、平和を願う善意の人たちがウクライナ国旗のワッペンをつけて連帯の意を示している。

私達はウクライナとともに「どこまで何をするのか」。

ウクライナ大統領や外務省が「ともに戦ってほしい」と訴えるとき、これは比喩ではない。武器を取って、と明確にいっている。

日本では戦時世論ができあがってしまった。今もなお続く戦時世論の中で、我々は「すまない。日本は防弾チョッキは送れないんだ」と言えなかった。このことの意味をもう少し立ち止まって考えたい。「防弾チョッキやヘルメットくらい送ってもいいではないか」というのが、常日頃「平和」を求めてきた善良な日本人の平均的な意見ではないだろうか。「ウクライナの兵士に防弾チョッキも身に着けずにロシアの銃弾の前に立てというのか」と言われたら、確かに答えに窮する。

でも防弾チョッキは一里塚でしかない。ヘルメットを送ったときドイツは他のNATO加盟国から嘲笑すらされ、いまは武器を送っている。ウクライナからは今も水面下で、日本に防衛装備品の提供を求める要請があるという。次に待っているのはこの問いだ。「子どもを守るために闘うウクライナの兵士に、日本の機関銃なしに闘えというのか」

同じ善意の「ウクライナとともに」のスローガンで、日本の軍事関与をより強めるための先例をつくろうとする動きがある。国会での議論もないまま防衛装備品である防弾チョッキを政府の判断で送るという行為を、平和を求める善良な人たちは簡単に認めてしまった。これは恐ろしい先例を作ってしまったのではないか。

「日本として武器を取って一緒には闘えない。自衛隊OBも送ってはいけない」という冷たい態度を明確にしたら叩かれる日本の世論に恐怖を感じる。平和を願う人たちは、この苦しい矛盾に満ちた事実を認識して、どういう連帯のメッセージを発することができるのか考えなければならない。

いま日本でウクライナ国旗を掲げて連帯を表明している人達の満場一致感は、イラク侵攻に反対しきれない空気を作った9.11後の国際世論の状況と似たところはないのか?

日本で暮らすウクライナの方から、親族を日本で受け入れてほしい、という声がある。こういう声には最大限連帯すべきと思う。いま軍事侵攻から周辺国にのがれて来たウクライナの人々に最大限支援、希望があるなら日本での受け入れを、一刻も早くと、求める。避難している人々の映像を見る限り、マスクもしていない。このままだと、避難先での感染拡大や、医療支援の逼迫も起きているはず。

その支援を政府に求めることは、日本自身のためでもある。ウクライナ国旗を掲げなくてもできるはずだ。

 

制裁の報酬:「侵略国を罰した」という満足以上のものは得られたか

経済制裁はロシアに打撃を与えた。ロシアの市民に打撃を与え、ロシア経済に打撃を与えた。しかし経済制裁は決してプーチン氏の行動を変えることはなかった

これはフィリップ・ブリードラブ元NATO欧州連合軍最高司令官の発言だ(米国NBCニュース2022年4月11日の記事)。残念ながら、この元NATO軍トップの発言は少なくともこれまでの状況についていえば正しい。

このNBCニュースの記事はこうも言う。

経済制裁が好まれる理由は簡単に理解できる。強国にとっては比較的低いコスト、低いリスクで侵略国を罰することが出来、自ら軍事衝突に至ることもないためだ

経済制裁の効果を調査した米国シンクタンクは、すでに何年も前から「制裁は一般市民の生命と生活を破壊するにもかかわらず、停戦や民主化をもたらさない」と結論付けている。

少し長くなるが、米国のシンクタンク・ケイトー研究所の分析を紹介する。

最近の一連の研究が明らかにしているのは、経済制裁が実際には民主化や人権尊重に向けた政策変更を促す目的を達成するためには、逆効果だということだ。経済制裁の影響で、政権のリーダーたちが権力にしがみつくようになるほどに、より強い弾圧が行われることになる

経済制裁が「手軽な」選択肢であるのは、制裁が人を殺し破壊をもたらすにもかかわらず、大規模な国内的反発を引き起こすことがないからだ(Richard Hanania(CATO institute)”America’s Overreliance on Economic Sanctions and What to Do about It” February 18, 2020 P.8)

日本政府は、ロシアに対する経済制裁を「軍事侵攻を止めるため」「非道な侵略を終わらせるため」の手段として説明してきた。そうだとすれば、この手段は徹底的に失敗している。

政府は「ロシアとの貿易制限の影響は限定的」と説明してきた。その限定的な影響は、どれだけの小規模貿易会社や卸売業者、飲食店にコロナ下でとどめの一撃を与えるのか、調査はされていない。

いま「大規模な国内的反発を引き起こすこと」はなく、次々と制裁が決められている。

「ロシアと取引している業者、ロシアの産品を扱う店などつぶれてしまえ」と平和を求める善良な人たちは言うのだろうか。もちろんそういう考え方もあるかもしれない。ただその事業者達の廃業や失業、生活苦と引き換えに、得られるのは「軍事侵攻の停止」ではない。この事実ははっきり認識しないといけない。では得られるのは何か。

「軍事侵攻を行う国」に対して「私たちは何もしなかったわけではない」という賞罰感情の多少の満足。そして、その制裁で「侵略停止」という目的を実現することに失敗し続ける日本政府への不思議な支持率上昇なのだ。

 

この2カ月の教訓は、日本で満場一致の世論を作ることが「こんなにもたやすい」ということだ。戦火で苦しむ女性や子どもの映像を連日見せれば、平和を訴えていた人々が「○○国に制裁を!」「○○国とともに戦おう」と立ち上がってしまうということだ。「国民的熱狂を起こしてはいけない」というのが、昭和の戦争の原因を問い続けてきた歴史探偵達のメッセージであった。

この「熱狂を作らないため」に、私たちにできることがあるとすれば何か。テレビを消し、ネットを切り、2月23日より以前に書かれたロシアやウクライナの歴史を読むこと。いやミャンマーやシリアの歴史を読むことであるかもしれない。

 


尾松亮(おまつ・りょう)

東京大学大学院人文社会研究科修士課程修了。文部科学省長期留学生派遣制度により、モスクワ大学文学部大学院に留学。その後、民間シンクタンクでロシア・北東アジアのエネルギー問題を中心に調査。2011~12年に「子ども・被災者支援法」策定のための与党PT・政府WTに有識者として参加。

著書に『3.11とチェルノブイリ法』(東洋書店新社)、『チェルノブイリという経験』(岩波書店)ほか。

 

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