人物諸芸・諸職

B5判・上製・全10巻・各巻平均600頁 
定価180,000円+税
ISBN4-7744-0334-2 C3300
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日本人物情報大系 第9回
諸芸・諸職編
芳賀 登 責任編集・解題

今回の配本の中心的視点は、art(芸術、特に演ずる芸)、artisan(職人、つくり出す芸)である。そこから、諸芸と諸職の組み合わせとなった。


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1 本シリーズの特質


 本書は本大系第九回配本十巻シリーズの諸芸・諸職編である。
 能歌舞伎のごとき日本の国家公認、家元制公認の芸に対し、本シリーズはその他のものであり、その中には公に対し私のものが多く、大衆芸能に類するものが少なくない。
 もちろんこうした動きを促進したのは、人間が、次第にいきるための生業から、娯楽その他の余芸、副業依存が多くなって来たことによる。
 とくに明治から大正にかけてそうしたものがつよくなったこととかかわりがある。
 そのため歌舞伎俳優が俳優の大部分を占めるに至ったこととも関係があり、諸芸者の中で俳優名鑑という名称も普及しはじめている。

 その中で81巻から以下編成された。その結果 第九回配本が刊行されるに至ったが、能は古今伝授の世界とかかわり、固有名詞が出にくいために、適当なものを選択することができなかったため、芸能の多くは歌舞伎相当のものとなってしまった。
 そのためか「日本庶民文化史科集成」(三一書房)の構成は芸能文化史料構成の一部である。河竹繁俊「日本演劇全史」(岩波書店一九五九年刊)は作者作品俳優はもちろんのこと様々な分野にわたって時代相を示す型で改良狂言その他にふれて概観している。また大笹吉雄「日本現代演劇史-明治大正篇」(白水社一九八五年刊)以来の概観はその梗観をなすものである。そうしたものの上に81巻82巻所収の「名人忌辰録」以下の名鑑をみると、その一人一人の存在感を具体的にあきらかにすることができる。
 さらに河竹繁俊博士喜寿記念出版刊行会編「日本演劇研究書目解題」(平凡社昭和四一年刊)、近松の会編「近世演劇研究文献目録」(八木書店昭和五九年刊)のごときものなど、研究書目、文献目録類の検索につとめる必要がある。その意味で本書は、核になる名鑑類をあつめてあるので、その肉付けのために年鑑、大観、事業総覧にまで目をひろげていくべきである。
 さらにこうした基礎史料や文献を歴史的に位置づけた時代別ジャンル別 演劇史よりオーラルな芸能史研究史上の名著早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編「日本演劇史年表」(八木書店一九九八年刊)のごときものを参照し、体系化をはかっていくことがのぞましい。また芸能史研究会編「日本芸能史」全七巻(法政大学出版局刊)、とくにその第七巻(日本芸能史7近代・現代、同上一九九〇年刊)は、総括したものとして参考になる。

 映画は現代演劇映画とワンセット化している。故に本書のごとき構成をとり、能、歌舞伎を別 にし、新劇、国劇のごときものもとりのぞいた形をとっている。
 その意味でも、わが国における芸能史の本流を何が占めているかは明白であるが、同時にその中での位 置づけをなるべく明らかにする形での研究処理の型をつくるべきである。
 その時、あらためて松本伸子「明治演劇論史」(演劇出版社昭和五五年刊)のごとき、新しい演劇運動(シェイクスピア研究、イプセン紹介、新派演劇、劇評から劇場舞台機構改革、国劇、新劇、俳優女優養成等)のごときものの成立などを参考にすべきである。
 「大衆芸能資料集成」全十巻(三一書房一九八〇〜)があり、万歳、土神楽、座敷芸、大道芸、祝福芸、落語、講談、浪曲、寄席芸、万歳、漫才、漫才、俄茶番、万作、大衆演劇のごときものもある。しかしこれは、人物があまりクローズアップせぬ せいか浮びあがらない。その点で、83巻の構成といちじるしく異なったものとなっている。さらに被差別 部落とかかわる乞胸と江戸の大道芸についてもなぜかおとされた形になっている。その意味でこの面 での被差別民との関係や差別とのかかわりのつめがよわい。その他にもコメディアンについて、古川嘉一郎他「上方笑芸の世界」(白水社一九八四年刊)等が朝倉無声「見世物研究 姉妹編」(平凡社一九九二年刊)のごときもののほりおこしや、猥雑の雑芸へのアプローチの新藤謙「大衆芸能ノート」(無明舎出版一九八五年刊)のごとき問題提示を参考にして、人物発掘のこころみをすることが必要である。

 83巻所収の謡曲文楽は義太夫、三味線などと共に諸芸を構成するものである。この場合『謡曲名家列伝』『諸芸人名録』『文楽史』『文楽名鑑』が入っている。 その他に『雅楽』『尺八』『太鼓職人』『薩摩琵琶』『日本仮面史』『日本朗詠史』のごときものがある。
 この他にも演芸名家、浪曲界に列するものが入っている。『浄瑠璃史』、古浄瑠璃を含む、『常磐津と舞踊』『清元』『粋の世界』『江戸音曲といき』『長唄』「小唄」『箏曲』『地歌』『神楽』『日本舞踊図鑑』などが参考になる。
 その上で、小泉文夫著『日本伝統音楽の研究』、『民謡研究の方法と音階の基本構造』(音楽之友社昭和三三年刊)のごとき民謡の研究方法を比較観察で開拓したもの、とくに音階の研究で問題提起したものまで生んでいる。ヨナぬ きがわが国民謡の特質であり、日本音楽の特質を示すという小泉文夫の分析は多くの人々の関心と共鳴をよんでいる。
 「諸芸人名録」のごときものは集成づくりにつとめ、斯学の発展の基礎史料の集成の一歩にすることは求められる。
 家元制のつよい諸芸とその展開の弱いものとにわけられる。とくに映画、歌劇のごとき世界ではそうとらえられる。

 84巻には『諸流挿花名家集』『大日本華道諸流大家 東都人名録』『現代華道家名鑑』『華道年鑑』(昭和十四年版)を収録した。
 収録外の文献としては、工藤昌伸『日本いけばな文化史』全五巻(同朋舎出版一九九二〜一九九五年)、その巻末人名小辞典がある。また、『図説いけばな大系』一〜六(角川書店昭和四六〜四七年)、『北條明恒著作集1、2、3』(至文堂平成九年刊)第二巻人物史がある。もちろん、著名な中の有名人のみとりあげており、本来があつめることを目的としたものとはかなり異っているので、あまり参考にはならない。むしろ大井ミノブ編『いけばな辞典』(東京堂出版一九七六年刊)でとりあげられている同書所収の「現代いけばな諸流一覧」の方が参考になる。

 85巻所収の茶道関係のものに、熊倉功夫『近代茶道史の研究』(日本放送出版協会昭和五五年刊)所収の近代重要文献年表にあるものが多くもうらとしたものである。その巻末の索引も関連史料発見の近道である。
 さらにその目次の第一章「茶道研究の課題とあゆみ」は茶道史を氏家之氏論の視点で概観し文化史の対象とした経過を書いたものであり、なおかつ近代茶道研究史の要括したものとして一読に値するものということができる。原田伴彦編『茶道人物辞典』(柏書房一九八一年刊)、桑田忠親編『茶道人名辞典』(東京堂出版昭和五七年刊)等があり、一定の基準を示すもの。また同著『茶道史年表』(東京堂出版昭和四八年刊)も基礎的なものといえる。
 たしかに家元制は江戸時代に展開したものだが、近代に至ってもそれがいきつづいている。それは芸名と本名とのつかいわけができることが、芸にいきるものにとっても実名をつかう公の世界にいきるものにとっても、便宜な世界のすみ分けを可能にする。
 その上に人名がつかい分けられ生きるのに便利なものと利用されたからである。
 封建制と結びつくがそれが近代的に利用されるものとなること、家元はイエモトとかきあらため、企業の中でも稟議制として利用されている。その点でイエモト制はかなり普遍的な社会制度であると考える。
 華道、茶道に関する人名の数はきわめて大きい。これらの悉くが一九一一年以降のものがほとんどであるということは大正昭和期のものがすべてである。とすれば近代のものである。
 したがって家元制の展開は、江戸末ではなく近代になって本格的になったことが明らかである。しかも家元制をとる家元の大小とのかかわりがきわめて多い。こうしたものへ実態研究や分析がこれを手がかりにすすむことを期待する。なお、その面 で熊倉功夫の著述はその先駆的な仕事でその学問的水準は高いものがある。  加えて本書はかなり資料博捜して史料価値のあるものを選んでいる。その内容は各巻所収史料の解題にくわしい。

 86巻所収の資料は『大正武道家名鑑』『剣道家写真名鑑』『剣道及剣道史』広谷雄太郎編『日本剣道史料』が一九二〇〜三〇年の年代のものである。
 しかし柔道史料はみない。なぜ剣道関係のものなのか。武芸が剣道中心であることを掘り下げるべきである。
 その他武芸については武芸叢伝や他のスポーツを考えるため『日本スポーツ人名辞典』(昭和八年版)を収録している。
 ただスポーツそのものについては分野別、ジャンル別の歴史研究やその従事者自体の伝記研究などの文献目録を整理することが大切である。本書に収録できていないものへの関心をよりつよくし、補いをうめる努力が必要である。

 87巻は諸職のものが多く『刀工鐔工辞典』『日本新刀人名辞典』などを所収している。
 もちろん職人史の対象としての刀工鐔工などを中心にすえた人名辞典である。
 また本書には『日本陶工伝』や『日本陶磁器名工略伝』などが収められている。本書所収以外の資料として、『現代陶工事典』(北辰堂一九九八年刊)に登載人物人名一覧が掲示されている。乾由明『現代陶芸の系譜』(用美社一九八一年刊)などのごとき史料もある。
 また、本書には高木如水編松田栄之助発行『古今漆工通覧』一九一二年版の資料が収められている。なお、『蒔絵師伝塗師伝』(吉川弘文館一九二五年)も収録されている。
 こうした史資料には伝統工芸品産業振興会編『伝統工芸名鑑』(昭和六一年八月刊)がある。
 その中には織物、染色、くみひも、刺繍、漆工、陶工、金工品、木工品、仏壇仏具をはじめいろいろのものをとりあげ、その方面 の工芸士人名の解説をしている。そうしたものへの類似のものが世に多いので、それらを参考にしながら県別 、時代別、種類別に分布をつくり、他のものとあわせてその特色を浮き彫りにすべきである。
 今日までこの様な物づくりにつとめた名工たちをあきらかにするためにそれは有効な方法であると考えられる。

 また88巻所収の「木形子談叢」のごとき郷土工芸やこけし関係のものから「全国郷土玩具目録」(高橋一作著)がある。こうした史資料は町づくり、地域づくりに大切な文献である。「東京名工鑑」のごとき一八七九年の史資料のごときものがあることを思うと、われわれはこの世紀を対象とすることを初めからきめるのでなく、もっと古いものを集めようとする志を失うことなく、集める対象にはじめから「限界」をきめることなく、研究対象をなるべく弾力的にひろげる機会をさがす必要がある。
 今日までこうした職人史の対象となる仕事は、つとめて研究するものが少ない。職人として働く人はあっても、その技術伝習のあり方を含めて技術開発の努力のプロセスに関心が乏しいのはきわめて残念なことである。  以上諸芸能、諸職を分野別にあつめたものであるが、一覧して片寄りがつよい結果 をしめしている。


2 不幸の芸術と不幸不毛の技術

〜ものづくりの起原を求める〜
 『名鑑』『年鑑』『大観』『事業総覧』『人名録』『系図』『名家集』『系譜大全』『人名辞典』『辞典』『略伝』『××伝』のごとき著作名をもつものを数えたてている。これをみると「人名」のみに限ってとりたてて来た。そのため個人情報中心のものがきわめて大きい。そのために本書所収の文献史資料は表題に限定がある。ただその場合、原史料的なものも少なくない。
 ただその様にみてくると、もっと適切なものはないかということに関する書誌学的収録史料の解析に必ずしも十分でない。
 今までそうしたことを学問的に厳密に検討したことがないだけに、検討すべきことをわり出す必要がある。
 とくに諸職に焦点をあてたのはいうまでもなく「物づくり大学」への関心に支えられたもので、伝統的職人芸の継承発展のにない手をどう育成するか。そうしたものをになった人々への着目が職人芸と共に諸芸との結びつきを意識させたのが本シリーズ成立へのインパクトとなっている。
 日本各地に存在する伝統的工芸技術に支えられた伝統工芸専門集団の存在は、具体的に鮮明になされるべきである。
 今までこの人々の存在は忘れられがちであった。これなしに日本の伝統的文化財としての祭礼その他も継承されてなかったのである。何か貴重な文化財というと国宝や重要文化財を意味しがちであり、民俗文化財や伝統的工芸文化への関心を失いがちであった。
 柳宗悦が発掘したものへの関心は、たしかに近時人々の関心をよせて来ている。
 それも美的感心のみにとどまらず物づくりそのものと結びつけ、伝統的工芸文化へ関心をつよめ、それによって工芸文化の産業化とかかわらせている。
 ただそのにない手への関心を、それをすすめる集団への着目として意味させたことの可否は大きい。その意味で本シリーズを成立させるインパクトの証明はもっと具体化されてよい。その意味では名前のみではなく、その集団成立の意図を含めてもっと関心をよぶ証明がほしい。それと共にそうした関心にもとづいて、自ら証明している人々の自伝的著作の一覧など、むしろ作成しても並べるべきである。
 あるものを集める形では、もっと集めてよいものを並べることができない。それが本シリーズのごときものが成立しない原因となっている。

 その点をもっとも端的に示したのが、89、90巻をここへ収録せざるを得なかったことである。むしろこれはかかるものの今日状況を率直に語っているものといってよい。
 89巻の技術者伝と発明家伝はきわめてめずらしい史料集である。もともとこうした面 につよくなく、企業家列伝の基礎資料を探索したのに、わが国で本書はながく入手しにくいものである。両者の数も前者四〇名、後者も僅か一七〇名と少なめである。それ故どこへ入れるか苦労した結果 、ここへ入れることとしたのである。産業史を切り開き起業家・企業家の育成をのぞむ声が高くなる度に、この種の著述がのぞまれるが、今日までそれに答える本格的こころみが乏しい。わずかに最近「科学技術史事典」のこころみとか「科学技術発達史」叙述のこころみとか「技術の社会史」編集のこころみ「民俗資料の技術史」のごときこころみがされはじめている。かかるこころみは戦前以来、比較的不毛であった職人史・職人列伝のこころみを補充するものとみてよい。
 第二次世界大戦末の太平洋戦争末にこうしたこころみがなされたころには、すべて国家国防の名におこなわれていたのである。むしろその対極にあるものとは、そうした学問的関心の基礎をおくべきものである。そうした思潮の形成がようやく見られるとき本書のこころみは発明家の基礎を伝統工芸その他に求めるだけでよいのか。さらに巻の篤農技術その他に求める形でよいのかは問われてよい根本命題と考えるが如何なものであろうか。しかし、そうした領域のできるのも少なくとも89-90のごときものが提言できることとかかわる。とはいえこうした89巻中の人々の数の少なさが巻にくらべて甚だしいのはなぜか。その時私は、常民に依拠し凡人をはじめとする衆人その他に根拠をおくことのみでよいとの考えは一考も二考もせねばならぬ ことであると考える。

 90巻所収の史料は、一つ一つ吟味すると、その選択の基本のあり方から問い直すことを考えさせる。もちろんその一つ一つの書物の表題を見て目的選択の目標がちがうことはたしかであるが、その内実に即して見るとき、「篤農家と篤農」、「農村を更生する人々」「農村と人物」、の人物の内容が吟味される必要がある。そうした根本的な基準をもっと掘り下げるべきであることがわかる。

 本書所収の人物を相互関連させて考えるならばそうした操作基準を曖昧にすることは本書を利用するものがおこたってはならぬ 初歩的入門的適用のあり方である。
 もし本書に解読が必要であるなら収録したものや解題より上に指摘したことは何より大切なことといわなければならない。それにしても諸職の最後の二巻はことにつめたこと自体農業技術改良につくした人々をこうしたとりあつかいでしかとりあつかえない不幸を、世にいう不幸の芸術と苦い不幸不毛の技術の総括としてまとめることを無惨と思うのは解説者のひがみかどうか、問題提起をして大書しておきたい。
 とかくこうしたものの底をつらぬく意図をより真摯に考えることが、なかなか意図どおりにできぬ 史資料編集だけに、もっとその理由を説明すべきことではないかと考える。


3 国民文化史の創造

 不幸な忘れられた遺産への関心をよみがえさせるために
  日本の近代化資本主義化の中で日本は自立した企業起業精神をもつ近代を築いた人々を育てなかった。伝統工芸技術を近代企業にもたらした人々はいてもその人が創始者となった企業家列伝はほとんどみられたことはない。よって創業者利得もあらわれることがなかった。それが本書のごとき内容を一本立ちさせることとなったのである。そのためには、今また本ものを集めて出すのではなくその質的吟味をせざるを得ないことを示す。それだけむずかしいことである。
 柳田国男には諸芸を含めて日本の不幸な芸術についての指摘がある。諸職は諸芸と共に不幸を背負ったものでなく、本来幸福に生きる生業であったものもすくなくない。
 それだけではくえないものがあった。そうしたものから解放してもっと不幸でない諸芸と諸職とする時代到来が期待されたことがある。ただ、そうしたものの満面 開化をことほぐ芸談や諸職人の自伝を見い出すことができない。
 のこっているのはその人々の死をのこす記録が多いことは本シリーズ所収の10巻を見て感ずることである。  それにしても生きた人名記録は人名だけで記録の部分が少ない。しかし、記録はのこされた手がかりである。これを重ね合わせる人名記録を探し、人名事典の頁数をふやす様につとめるその時、日本人名事典も内容ゆたかになる。その結果 本シリーズの資料が庶民史をゆたかにし人間の歴史にあつみを加えることになる。その手がかりになる幾つかの利用法を提言して解説のしめくくりとしたい。

 そのためには今までの様に全国的なものばかり探究するのではなく、また諸芸諸職の一つ一つをもっととりあげたものに着目して数をふやすことを考える必要がある。そのため地域別 な編集をこころえるべきである。もちろん時代によって地域性の理解もことなるから考える余地は大きい。
 その手がかりは今のところめったにみられない。そうしたものをさがすためにどうするのかについても考えてみるべきである。
 人名を地域別に整理するのも一つの方法である。その地域も県郡村別 でよいのか、それとも他に考える余地があるのか、そうしたことを掘り下げてみたい。また、模範町村の存在とのかかわりも考えの中に入れたい。いいかえると自力更生村づくり等々、名望家体制篤農家制の農務省の農村指導地方改良運動とのかかわりである。
 その意味で明治国家の明治末期戌申詔親書下賜、地方改良指導政策とかかわる点を評価対象軸にすえざるを得ない。以上のごとく考えるとすれば、一冊一冊の史資料となる著述成立の解題成立のための努力をすべきである。
 そうした努力があってはじめて個々の人間の社会的機能を明確にできるといってよい。しかるにここに析出された莫大な人名は個々の事物による析出であり、果 たしてその基準の妥当性そのものまで立入るとき、疑いを生ずる余地はきわめて大きい。逆に個別 人物名中心に辿るならばおそらくそれは他のものと重出される場合も少なくあるまい。むしろそうした史資料利用の操作によって他との関連づけがおこなわれるならば、職業別 階層別分布表をつくることができる。
 それが財産別や地方税国税負担や土地所有等々とかさねることが可能であるならば史資料のよみとりに大きく貢献することになろう。その意味で本書はいろいろな史料操作をコンピュータその他の利用ですすめることができる。
 今後はかかることを配慮して何を次に刊行するかを考慮すべきである。量 的拡大を分野別にはかるより、何を明らかにしたいのかの問題意識をたてその構想力を近代象にまとめてテーマの再発見を考えることが可能であり、それにかけることも望まれる。
 そうなるとき、巻別編成のされている各巻間の相互の関連の説明も書誌的解説ですませるわけにもいかなくなると考える。そのとき、収録した部分が妥当であったかどうかの手がかりの説明としてはもっとその背景史資料の説明自体が必要であったのではいか。とくに90巻『大日本篤農家名鑑』を他史資料に関連づけの関わりをもっと掘り下げるべきである。

 それにしてはその解題がなおざりで展望はもちろんつけにくく、史資料利用者の個々の能力への依存度が余りにもつよい。その上こうして史資料説明をもっとその分野の専門研究に当って説明を加えるべきであり、専門別 の専門研究者の解題まで参考資料として提供されれば本書の価値を倍増することが可能となる。
 篤農伝は「農功伝」「老農伝」「農本主義者伝」のどれも類伝のものがあり、より広いものに名望家伝のごときものも加わる。この様なあいまいな職業相当概念のごときものが固有のものとして多い。なぜかかる日本的曖昧なものが生じるのか。もちろんこうした人々は褒賞受賞対象、広くいえば、産業功労者である。この様な人々をどの様な概念範疇を用いて徴集すべきかをいうことはきわめて重要なことである。
 そうしたことが今まで学問的に裏付されることなく時の流れのままに放置されて来て、いつも学問の対象として忘れ物のごとくあつかわれて来て、その結果 おくところがないからここらに入れるということになった。世が世であれば農本主義イデオロギーの顕彰対象であったものが、今ではひそやかに社会の片隅にすむ。町に忘れさられたもの。滅びゆくものの扱いである。個々には『日本老農伝』の対象として洛陽紙価を高からしめたものなのに、諸伝となると、全く辺隅の存在である。それもその徳や光は辺隅を照らすものの扱いとして賞賛の対象としてその格言が生きることはなく存在感すら失っているのは至極残念なことである。自治功労者としての市町村史誌類にその経歴がかつてはとどめられたが今ではそれすら片影さえとどめられない。
 まさに失われ忘れられたものの記録の一端というべきものとなっている。  人物情報大系が雑資料を網羅して網羅主義のとりことなり、多数頻出を尊ぶ思潮の上につくられる中で、質的吟味のなさが内容を乏しいものとして続産している嫌いがある。かかる風潮の馴致は人の価値認識の基準を下げることとかかわる。あらためて、事の本質とかかわることだけにふりだしにもどす議論の対象をここら辺にもうけるべきである。こうした反省を伴うことをぬ きに本史資料集の編集が言語概念のごときものの吟味ぬきにもされまじき勢いの中におかれている。
 そのため、以上書いたごときことへの関心を高めることは必要不可欠な作業日程である。

 諸芸諸職を考えるとき、雑芸雑職を視野に入れ大衆芸能、さらには大道芸や放浪芸のごときものも入れるべきであることは、先述解説に補っている。また賤民芸能についてもその系譜を引くものについても部落芸能を被差別 解放の立場にきちんとたって組み入れるべきであるが、個人人物中心のためにあまり表立った形でとらえられていない。
 祭礼との関係その他で解説しているその面については、民俗芸能史の立場にたってとりあつかうので、その面 の考察をした学芸の成果を参照すべきである。
 この様に見てくると、ここに集められたものは氷山の一角のごときものであり、水平線下に沈んでいるものがあまりにも多い。そうした事実に眼をおおって、現象的なとりあつかいに終始することには、学問史上はもちろんのこと、人間的にみて決して好ましいことではない。
 それ故解題作成者としては、かさねがさねそのことについて関心喚起につとめたい。  そのことは諸芸諸職、雑芸雑職のごとき名称の吟味点検への関心があり、学問的に研究検討することを期待する。

 たしかに芸能史研究会中心にその研究は発展して来ている。さらに部落史の研究、被差別 部落史の研究の中で辞典づくり、年表が作成され、個別研究の発展はより一層進展を見ている。それにくらべるとき本書所収の各巻のなかには華道や茶道のごときものにくらべ劣っている分野も少なくない。関連するところでなお取り扱うべき茶道具茶器はじめ補うべきところも少なくない。それどころか、やっとこうしたものの中でとりあつかわれはじめたものも少なくない。日本の中の隠れた事実も少なくない。音曲の世界でとくに地方につたわるもののほり下げは、なおなされるべきである。その点については示唆を与えたのにとどまっている。それ故最近の地方芸能史研究が地方文化史、さらには地域を中心とする文化の重層的関係をよみとく仕事の発展の機運に伍して、そのものを段々と編集したい。このことの試みは国民文化の形成をすすめる主体形成がなお十分でなかったわが国おいては、その方面 の研究が民俗文化芸能に限られた弱さを克服しえていない。
 そのためには、個人情報文化資料の利用発掘に力をそそぐべきである。それ自体は個人的に利用するのではなく利用する方法の案出につとめることがのぞまれる。大衆文化スポーツ団体史資料一覧も作成されるべきである。
 二十世紀以降のものが多く集めらていることの文化史上の意味は国民文化研究の進展させる中で問題点を究明していきたいし、いくべきである。
 そのためには巻所収のものに例をとるならば、『農村を更生する人々』その他の史資料がまた『農村と人物』『昭和篤農伝』の内容が何をつくろうとしているのか、何を更生しようとしていたかが、具体的に叙述している。この具体的内容をもつ著述は、今日ではながらく入手することのできぬ ものである。その意味では、本シリーズ所収の著書は貴重なものが少なくない。
 しかし、『大日本篤農家名鑑』記載のものと『篤農家の研究』の内容とでは篤農家の内容にズレがある。その点のほり下げなど一例であるが、国民文化や国民国家成立を意図すればなる程、そのほり下げにつとめるべきではなかろうか。


4 これからなすべきことの数々

  〜その手がかりとしての本シリーズ収録史資料〜
 本書全体は、日本国民国家形成期のものが圧倒的に多い。たしかに諸芸諸職を中心とするものであり、それが存外娯楽関係とかかわるところもある。しかしそれも決して生業とかかわるものではない。生業が娯楽のごとき家業以外のものと断定するのにはもう少しその面 の学問的ほり下げていくべきことである。とくに編集されたもののみがすべてと考えることなくその存在範囲をひろげための柔軟思考が必要である。
 88・89巻を事例として以下の叙述を加える。

 88巻所収「木形子談叢」「こけしの微笑」「こけしと作者」「全国郷土玩具目録」などはめずらしい資料である。こららも固有名詞の出ているものへの配慮した跡がめだっている。この種のものは博捜すればもっとつけ加えることができる。それ故ものづくり大学づくりのすすむ中で累積すべきものであり、「東京名工鑑」(乾坤二冊)のごときものの類似史資料の蒐集などすすめるべきである。その意味で本シリーズはかりにつくられたものとの認識をすてずに、これを手はじめとしてほしい。

 89巻にはの田村栄太郎著『日本電気技術者伝』(一九四三年)が所収されている。田村栄太郎は太平洋戦争下には産業技術・工業文化関係のもの、庶民の生活力の評価に勤めている。その時もあくまで人物論として提供している。彼は農業主義批判と農業技術開発を志している。在野民間学者に徹したこの人は仁政批判につとめ、生活技術向上による人間幸福に力点をおいたものである。
 その点「日本発明家列伝」(発明家伝刊行会一九三六年刊)をみるとき、これは大部のものであるが、発明のための苦労話がかき込まれ、何故こうした努力をしたのかが明白になっている。本書は大部なものだが史資料としての価値の発見につとめている。それ故、これをどう利用したらよいかを考えるべきである。そのためには田村栄太郎論のごときものを前提として考えていくべきである。
 その点からいえば、「東京名工鑑」そのものも明治十二年十二月刊行であることを思うと東京の名工の分布さえも業種別 に示すことができる。明治文明開化期の名工分布がとくに下町に多いことがわかる。
 こうした史資料はこれからも集めることができる。
 日本近代化を支えたのはこうした名工の技術力によるところが大きい。ところがそうしたものが具体的にとらえられていない。発明家も名工とのかかわりでもあればわかる。もちろんつながらぬ ところが多く、それは何故かも問う必要もある。

 本蒐集史資料でこの様な分析のしかたを考える機会をつかむことができれば、田村栄太郎らがこころみた庶民人物伝の仕事に、もっと光をあてることもできる期待もある。
 田村栄太郎は反骨の歴史家として人物を抉ぐる学問人として有名な人である。その著「日本電気技術者伝」(科学新興社昭和十八年刊)は正規常識発明家と自己技術者体験の発明家と二つ存在するとのべている。このことは発明家に共通 する存在であることは事実である。いずれにせよその数はきわめて少ない。そのことはわが国が発明家を生む社会ではないこととかかわる。とすれば起業家の技術的基礎が乏しいこととも関係する。その面 への考察についての省察を本シリーズに追加することも必要不可欠なことである。三枝博音をはじめこうしたことにくわしい人はいるのであるから、そうした文献目録作成もあってよい。その意味で本シリーズ諸編を成立させ集約する過程をもっと明瞭にすべきである。

 それと共にここでも書画骨董を含む鑑定師についてとか、その際の参考書目になどついても、検索のしかたについて書いたものを付する位 の親切さもあってよいのではないか。さらに剣道史に対し丸山三造編著『大日本柔道史』(第一書房刊)『大相撲力士名鑑』(思文閣出版平成十二年)大日本体育協会編『大日本体育協会史』(全三冊第一書房)を補完する位 の努力をかさね不断に人名関係検索量を多くする様につとめたい。
 その点で人名関係収載の図書目録をつねに探ること、とくに古書社関係へ図書資料への関心を増大させることが必要である。『古書目録』を見るとその目次には伝記・人物・演劇・芸術などがとりあつかわれている。その上に個別 な目録を索引に選ぶことが大事なことである。

 そして最後に私は、収録されているものが、諸芸諸職がよみがえるかどうか一考してみたらどうかと思う。演繹的な方法で課題を導き出すことができるかどうか。もしそれがそう簡単にできないとすると、導き出すことのできるものであるより、最初にイメージすることができるものである。
 本芸・技芸・裏芸・諸芸・雑芸・本技・末技のごとき概念もあると思う。
 そうした連想を導き構想力を再構成することが必要ではないか。こんな連想が可能となるのであれば、この概念範疇の設定自体が、本大系全体の中で適当な位 相づけがあってよいと思う。もしそうであるなら、ここにもっと集約されるものが、他に選択されるものが次から次へとあらわれる。ただそうした中でどうしてもされるべきものに差別 され疎外されているものがある。何がそうした周縁をつくりだすのか必ず補うべきことと考える。諸々ということはその他のイメージがあると考えるが、それをほり下げるべきである。本とか正とは何かも、それとの関連でほり下げることも求められる。その意味で今後の課題とすべきことはとても多い。かかるシリーズ一つとっても今後の課題とすべきことの多さを知る。つとめて努めることがのこされている。

(はが のぼる 筑波大学名誉教授)
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