人物書画

B5判・上製・全10巻・各巻平均600頁 
定価180,000円+税
ISBN4-7744-0300-8 C3300
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日本人物情報大系 第7回
書画編
岩坪充雄 責任編集・解題

『本朝画史』『画乗要略』といった江戸時代の文献を筆頭に、明治・大正・昭和の画家、書家関連の文献を収録。書画家のみならず、日本の篆刻家を集めた『日本印人伝』まで、「書画」に携わる人々を網羅。


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「書画編」の人物情報

 書画編という概念に基づき、その叢伝類をここに集約せしめ一分野を立てるについては困難な部分があった。それは日本人の書画愛好の習慣は古く、鑑賞者は同時に製作者でもある点、書家の専業化は近世からで、それまで書の専門家は存在しないのである。現代では書家や画家に専業分化されているが、それ以前は書画ともに密接な関係にあって、「書画」と並列に言葉が使われるのはその象徴とも言えるのである。近世・近代には文人と呼ばれる人々があり、「文人趣味」という言葉もあるほどで、それは書画一致の思想を背景に持っている。事実ある程度教養のある人物ならば階級を問わず書画を嗜むことはしたのである。つまり書画の作者は決して専門家に限ったことではないのである。では専門家に限って画家や書家の肩書きで叢伝を探し得るかといえば、これは不可能である。書ということで考えれば、日常の筆記がすべて毛筆の時代であれば、それによって書かれるものは皆書なのである。優れた書は尊ばれ、その書き手は重んぜられ、作品は収集の対象とされる。例を示せば、人物として分類すれば企業家として第一に指折られるであろう渋沢栄一にしても書家ではないが、その書が人々から求められ多くの書作品が残され一面 書人としても見られている。宗教家に分類されるであろう僧一休宗純の書も重んぜられているし、元禄文化の社会的頂点に立っていた五代将軍徳川綱吉も立場は政治家であろうが書画も嗜みとした。それらの作品は今日にも重んぜられている。歴代天皇の書もまた宸翰と呼び、書の一分野として扱われ尊ばれているのである。それら作者は専門の書家でもなければ画家でもない。人物としてはそれぞれの位 置にあって書画家として独立した分野の中にいるのではなく、書画叢伝類の中に未分化なままで書画の作者として一括りにされている。この度、書画編に集めた叢伝類は特に画家(絵師)などの専門家に限って集めたもの以外は、多く他分野に渡る人物が集められている。どうしても前述の通 り、書画という性格から他分野に譲った叢伝類も多く、もとより書画編のみでの網羅は困難なのである。この書画編についていえば書画の作者を単純に網羅しようとしたものではない。ある意味ではこの『日本人物情報大系』に登場する全ての人物が書画の作者で有り得るのである。

 そこでもう一度この「書画編」の構成を考えてみたい。「書画編」については大きく二つに分けられて成立している。「画家」と「書画総合」という考え方である。書家の叢伝類は画家のそれに比べて少ない。画に関わる編纂物が多いのは画家(絵師)の専業化が書より早かったことも強く影響していると考えられる。また書の作者が天皇や将軍ということはあったが、天皇や将軍が浮世絵師であったためしはない。却ってここでは専業化傾向が強い画家に比重が大きくとられることとなっている。かつて専業家した画工を蔑視する向きも封建社会の中にあったのだが、庶民文化の代表者として称揚されている浮世絵師に代表されるように、現代社会の中での評価は常に注目を浴びる存在へと変わっている。ここに画家中心に見える構成の所以がある。文献の配列は上梓の年代順とし、画家部分では江戸時代の文献二点を筆頭に配し、明治・大正・昭和の各時代に編纂された画家関連の文献を収録。書画総合では書画家総合の辞典類から日本の篆刻家を集めた『日本印人伝』、数少ない書家の叢伝類と江戸の唐様書家研究の基本文献とも呼べる『近世能書伝』に至るまでを収録し、『日本人物情報大系』の第六十一巻から第七十巻までの全十巻を「書画編」としたものである。
 以下には「書画編」収録の文献について触れて行くこととしよう。

 各巻の構成

 最初の第61巻は、狩野永納『本朝画史』(1693刊)、白井華陽『画乗要略』(1831刊)、古筆了仲『扶桑画人伝』(1888刊)、細川潤次郎『近世画史』(1891刊)、樋口文山日本美術 画家人名詳伝』(1892刊)の五件を収録した。前の二件は江戸時代に上梓され、残りは明治時代に入って出版されたものである。

 巻頭の『本朝画史』は5巻5冊。編著者の狩野永納(1631〜1697)は京都狩野の三代目。字を伯受といい、山静、梅岳、一陽斎、居翁、易亭、素絢軒などと号した。通 称は縫殿助といった。第1冊は「本朝画印」という印尽くしになっている。本編をまとめるに当たっては狩野家に蓄積された資料を活用したという。跋文によれば「画史の終わりに附す」とあるので、5冊目に付録して製本したものもあったろう。この時代としては、比較的信頼度のある、かつ上梓の早い画家落款印譜とも言えるのだが、元禄時代の版刻技術は同時代の千字文の例など見ても未だ篆書をうまく刻すことができなかったのである。「本朝画印」の跋文は、よく筆跡を映して刻しているにもかかわらず、篆書については粗刻というしかない。果 たしてこれが鑑定に役立ったかは疑問である。さて本編は狩野永納が400数十人にも取材し、黒川道祐の助けを受けてこの伝記を作ったのである。黒川道祐は大学頭の初代である林羅山の門人。その関係から羅山の息、林鵞峰によって本編成立の経緯が延宝六年(1678)秋に記された序文中に語られているのである。黒川道祐、名は元逸、静庵と号し、他に梅林、遠碧軒などと号している。安芸の人で広島藩の儒医として使え、また京都にも出ているというから狩野家との関係も故なしとしない。

  「本朝画史総目録」によれば、巻一には「画原」「画官」「画所」「画考」「画運」「画式」「画題」を収める。日本における画の始まりに説き起こし、古典や故事を探りそれぞれの項目に及ぶ。巻二は「上古画録」として、古代の記録から画に関わる記録を並べる。狩野家のライバル土佐家の伝にも及んでいる。巻三は「中世名品」と呼んで、古来の画風を変じ、身分の上下を問わず漢画を倣う人々を掲げている。巻四は「専門家族」と銘打って狩野正信より書き起こす。最も狩野永納の筆に力の入るところである。加えて長谷川等伯とその子供にも言は及ぶ。続けて狩野家伝来の粉本に序すところを「狩野家累世所用画法」として、山水、人物、花鳥についての序文等を掲載。巻五は「雑伝」「補遺」「附録」にて、専門家ではなくとも画筆を執る人々を記し、硯、墨、筆、紙や絵具などの文房具についても言及する。伝記を中心に据えて、その歴史、故事と道具類にまで及ぶ日本の画史として充実の読み物が元禄期に出来上がったことは、戦乱が止み徳川の世の中も次第に文化的に余裕が出てきて仕上がったものと考えられよう。 次に収録したのは天保二年に上梓になった白井華陽『画乗要略』。体裁は上下二冊であるが内容は五巻に分かつ。見だしに取られている人物は251人に閨秀画家22人を加えて273人。これに門人や兄弟子息を付記しているので300人を越える人物が紹介されている。土佐派、狩野派の画家に加えて宮本武蔵、松尾芭蕉、来日の中国人僧や儒学者なども含まれている。最後に閨秀画家を集めたのも本書の特色といえよう。「梅泉曰云々」とは、著者白井氏の自説を述べるころである。

 古筆了仲『扶桑画人伝』の5巻5冊は明治21年に上梓がなっている。稿は自序を書いた明治16年に成立したものだろう。それは本書掲載の人物について、明治16年から何年前の人であるかの言及あるを以って考えられる。自己の時代を強く意識している。あるいはここに画人伝の基準を立てるという気概を読み取るべきだろうか。前二書に見えぬ 新しい分類として、閨秀画家に続き巻末に、「又兵衛」こと岩佐勝重以下78人を浮世絵師として集めている部分がある点。さすがに古筆家の著者の手に依るだけに、実見した時の手ずからの資料を中心とした編集方針に加え、画に関する話のみ残っているような人物については全て省略したというところは実見主義の自負を示すところであろう。本編は藤原基光に筆を起こして、浮世絵師■江に至る203人を収めている。

 細川潤次郎(十洲)『近世画史』5巻1冊は、明治時代の名筆家巌谷一六の序を巻頭に配し、著者の例言を続ける。それによれば、新井君美『画工便覧』と前述の『本朝画史』、『本朝画史遺伝』に続く人物叢伝と位 置づける。『画乗要略』『扶桑画人伝』その他の書物を底本として碑文資料などの取材をも加えもの。一門家族などは一人ずつの見出しとせずにまとめて記述するスタイルをとっている。本書の面 白さはその著者にあるといえようか。細川潤次郎は法制学者、あるいは官吏として明治大正時代に活躍した人物なのである。本書成立が明治23年。発行はその翌年であるが、明治9年に元老院議官になり、13年に元老院幹事。17年に絵画共進会審査長になっているので、その関係からこの著書成立へ繋がるものだろう。本書成立の23年に元老院廃止とともに貴族院議員。翌年は貴族院副議長。以降も順調に時の政府に重用され、男爵となり、文学博士の学位 も得て、明治政府の中にあって政治的にも重要人物の手になる著なのである。余談だが本書の版刻が神田永富町に明治24年に独立した江川八左衛門で四代目である。

  樋口文山日本美術 画家人名詳伝』2冊は明治25年の出版。一方で江戸時代のような木版印刷があり、一方で活字の印刷も行われていた過渡期の出版である。ここでは「いろは」の順に人物を配列し、上巻は石川丈山に始まり、下巻は頼山陽に始まっている。記載内容は先行の伝記類からの引用で、引用書目に依れば広く72種の文献を採っている部分は評価できようが、悪く言えば又引きという事になる。叢伝類の宿命といえばそれまでだが、引用文献の全てが今日容易に見られるとばかりは言えないので、無理に謗る必要もなかろう。人物伝に使用の印章の図が掲載されているが、江戸時代に上梓された『古今墨跡鑑定便覧』からの引用である。印文の読みに間々読み違いや誤植が見受けられ注意を要する。序文に依れば、約2000人を越える収録人数で、これについては今までのものとは比較にならぬ 程に増加した。発行は大阪の赤志忠七こと忠雅堂である。

 第62巻には、飯島半十郎『浮世絵師便覧』(1893刊)、狩野寿信『本朝画家人名辞書』(1899刊)、森大狂『近世名匠談』(1900刊)、本多錦吉郎『洋風美術家小伝』(1908刊)、帝国絵画名鑑編輯部『帝国絵画名鑑 現代之部(1912刊)、沢田章『日本画家大辞典』(1913刊)の6件を収録した。

  最初の飯島半十郎『浮世絵師便覧』は明治26年に発行の趣味的小冊子である。本文僅か40丁に頭字を「イロハ」で並べ、その下に人物略伝を付記したもの。一方で情報を盛り込めるだけ盛り込む集成の方向を向くものもあれば、簡便にして持ち歩くにも楽な冊子と為すこのような対極にあるものも作られたのである。これは多分に江戸趣味的で「詩韻便覧」や小型の「諸家人物志」などの一類にあると言えよう。

  狩野寿信『本朝画家人名辞書』2冊は、明治32年に大倉書店から発行された。和本の体裁だが活字本で、年表、系図を巻頭に附録し、見出しとなる親字を筆画数の順に配列し、その掲載ページ索引を付けている。利用者はその親字ページを開き、求める画家の名を探す。画家の名は大字で示され、伝記は画家名の行を2行に割って書かれている。まるで経書の経文と注の関係のようである。名が変わっても改行せずに続けているので画家の名の位 置は一定しない。今日では見にくい体裁だが、先に触れたように経書を読みなれている人々にはさほど抵抗感はなかったろう。 森大狂こと森慶造の『近世名匠談』は、明治33年に春陽堂から発行された。狩野芳崖、菊池容斎、狩野一信、森寛斎、田崎草雲の5人の画家についての伝記である。詳伝と呼ぶには足らないが、辞書の記述に比べれば詳細である。 本多錦吉郎『洋風美術家小伝』は明治41年春に行われた洋風画家の追弔会を開催した時の配り物として編纂されたもので、その編集は急であったようで、伝記の詳細なものから簡略なものまでバランスが悪い。だが、近代洋風画の萌芽期に活躍した人物の伝記として貴重な文献であるといえる。掲載はおよそ70人。中には巻頭に写 真を載せ得た人物もある。江戸時代の本では写真肖像の掲載は考えられない。近代の人物伝記では一つの大きな特色として写 真版の掲載は見逃したくない部分である。

  帝国絵画協会編『帝国絵画名鑑 現代編はこれまで紹介してきたものと性格の異なる画家名鑑である。これまでは過去の既に亡くなっている人々の人物情報を集めたものであった。この大正2年出版の名鑑は、帝国絵画協会所属の現存作家のカタログで、当時は商業的目的もあっただろう。それが時代を経て淘汰され無名になってしまった人物をも知らせてくれる伝記資料になったといえるだろう。1人1頁とし、肖像写 真、作品写真、原寸の落款印と署名。号を先に示し、氏名と経歴が記載されている。現存の文人のカタログを出版し画の依頼を考える人々に情報を提供することは江戸時代も幕末には行われていたので、商業的であるからと否定的に考えることもない。却って今日ではなかなか追いかけることが出来ない人物情報が残されていると考えられるのである。人物は姓名を「アイウエオ」の五十音順配列。号の検索は巻末索引によって出来るようになっている。巻頭の題字の細川十洲は先に紹介した『近世画史』の著者である。

  澤田章『日本画家大辞典』は所謂画家人名辞典としての一般 的イメージそのままであるといって良いかもしれない。収録の人物は、上古より大正2年のこの辞典が発行に至るまでの画家の伝記が五十音で名のカタカナ見出しによって配列されている。漢字見出しの場合読み方が幾つかあるために戸惑う場合や誤読もあるがカタカナで完全に音配列とすればスッキリとする。また姓名が連続して習慣的に呼ばれる場合にも検索可能となっているのは親切で実用的な配慮といえよう。大正2年より逆算する年数の記載は、前記の『扶桑画人伝』の明治16年を去ること云々の例に倣ったものだろう。伝記の出典は明らかにしている。系図を巻頭に附録し、挿し絵の写 真版などを随所に置いている。

 第63巻は朝岡興禎『古画備考』1件を収める。明治37年に弘文館より発行された。全部で2500ページを越える大部の構成で、第一巻帝王編より第四十八巻和絵編、それに加えて長崎画人伝、高麗・朝鮮書画伝上下に至る51巻の内容を持つ。本編の著者朝岡興禎は狩野家の人で、父は狩野伊川院。画は臨模の名手であった父に受けたもので、生涯をかけた執筆であったろう。およそ幕末に完成したものが、東京美術学校に所蔵を移し、副本は東京帝室博物館に置かれ、本書は増補改訂を受けた副本を底本にして発行されている。内容の詳細についての解題はまさに巻首解題に尽くされているのだが、本書は幕末の一画人によって試みられた画の集大成の成果 であるといえる。辞典類とは性質を異にし、検索の便利より以上に記録資料の集成が考えられていたと見るべきだろう。文献があればそれを引き、実際の作品があればそれも記録し、時には簡単な模写 も付す。落款は署名と印を写し取っている。当時目撃し得る資料については悉く当たったものだろう。江戸後期の文人などの落款については多く(補)として、太田謹により増補されている。当然のことながら印は模写 であり実捺ではない。

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 第64巻は井上和雄『浮世絵師伝』(1931刊)、佐藤畷『浮世絵画家略伝』(1933刊)、大日本絵画講習会代理部『大日本画家名鑑』(1934刊)、猪木卓爾・豊田豊『現代日本画壇の精鋭』(1935刊)、清水澄『現代画家番附』(1941刊)、木村重夫『現代日本画家論』(1944刊)の六件を収める。

  井上和雄『浮世絵師伝』は昭和六年に渡辺版画店の発行。大正の震災によって頓挫しかかったもののようだが、著者と版元の渡辺庄三郎の努力によって完成したものである。著者は大阪で浮世絵専門雑誌『此花』(宮本外骨主幹)の編集、東京へ呼ばれて月刊誌『浮世絵』の編集、渡辺庄三郎の浮世絵研究会の編集と、当時流行の浮世絵愛好社会の中心にいた。その浮世絵雑誌編集者としての背景と人脈を持っていたからこそ、そして渡辺庄三郎との出合いがあって『浮世絵師伝』が陽の目を見たといえよう。浮世絵師は五十音配列にされ、名の見出しの下に生年、没年、画の系列と作画期がコンパクトに示され、次に伝記記事を続ける。これにはどうしても記事の長短は生じる。この体裁は著者の『慶長以来書賈集覧』(大正5年刊)発行の経験が生きているだろう。さすがに浮世絵の本であるから巻頭に71点の図版を掲げている。これは読者にとっても親切であったろう。

  佐藤畷『浮世絵画家略伝』は昭和8年12月1日から5日まで東京日本美術協会を会場として行われた、山中商会主催の「時代屏風浮世絵琳派展覧会」の目録付属として作られたもので、僅か本文27ページ、40人余の浮世絵師略伝である。浮世絵という分野が世の中に認知され、流行していたからこそこのような企画とそれに伴う浮世絵師の伝記が編まれたという環境に注目する材料としての意味は深い。

  大日本絵画講習会代理部発行の『大日本書画名鑑』は昭和9年に発行された。これには、今日にも陸続と発行されている美術や書道の名鑑類を想起させる体裁がある。当時現役著名の人物から顔写 真を載せ、関東、関西で二段に組み分けして帝展、文展、院展、日本美術協会、日本自由画壇、青龍社など各会派ごとに画家の名を並べている。続けて物故画家を「いろは」に配列し、系図を附録する。現代画家印譜がそれに続き、今日ではこれが鑑定資料として活用されるだろう。会派別 の掲載であるから巻末に総索引を付けている。

  猪木卓爾・豊田豊『現代日本画壇の精鋭』は昭和10年、美術往来社の発行。文展・帝展の歴史から書き起こしそれぞれの会派に属する画家伝へと移る。記述は比較的詳細に行われ住所録付きで掲載の人数は四十人余となっている。会派ごとの画家伝の記載が当時の画壇の状況を伝える。

  清水澄『現代画家番附』は大正6年の初版から実に昭和16年まで80版。東京美術倶楽部の発行による出版。画家の名前はもちろん肩書き、展覧会実績、標準価格に住所など、いよいよ商業主義が表に出てくるのである。かつては日本の画家の失われ行く伝記を後世へ伝える目的意識の基に編まれる画家叢伝類であったが、時代が下るとともに現存作家の権威付けの名鑑であったりと銅臭のするものまで出てくるようになった。時代の豊かさの反映と見るか堕落と見るか、それともまったく別 な視点によって新しい価値をここから見出すかはこれから用いる側の姿勢によってまったく別 な資料になっていくだろう。

  木村重夫『現代日本画家論』は昭和19年に多摩書房から発行された画家論で、これは著者が自ら主宰の月刊美術雑誌『美術世界』に書き続けたものを集めて一書としたものである。原則的には、現役画家に対しての評論であり37人の掲載。名鑑類とは性質を異にする。同時代の一面 の人物研究の参考になるだろう評論ものである。

 第65巻から第70巻は書画総合とし、第65巻には、津田南涛古今書画名家全伝』(1897刊)、中井兼之『日本印人伝』(1915刊)、池田常太郎『日本書画骨董大辞典(抄)』(1915刊)、杉原夷山日本書画人名辞書』(1926刊)、日本美術書院編纂掛昭和版日本美術書画便覧』(1928刊)を収録した。

  津田南濤古今書画名家全伝』は明治30年1月に東京図書出版合資会社から発行され同年8月には再版、35年には5版まで版を重ねている。さらに続編の計画まで巻末広告にある。流派に分けず、印影を巻頭に集め、とにかくお手軽な書画家のコンパクト人名録を作ったというところが成功であったのだろう。

  中井兼之『日本印人伝』は大正4年に発行された、日本の篆刻家人名録である。帰化僧独立に筆を起こし、最後は履歴不明の印人の名を並べている。本文は僅か40余丁に過ぎないが、日本の印人のみを集めたものとしては最初の本なのである。中国には印人伝の一連の著があり、それに倣って日本の印人を集めようという発想になったのだろう。もとより網羅されているとは言えないが日本印人の伝記を調べようとする時にまず開くのが本書である。今日でこそ篆刻といっても知る人が増えてきたが、印を彫るなど職人技であるとばかり思われていて、文人の嗜みとしての篆刻の理解はあまり一般 的ではなかった。しかし江戸時代の帰化僧が篆刻の嗜みを持ち込んで、実は篆刻は大流行していたのである。その中で名の現れている人物については殆ど掲載がある。なかなか出版された類本が日本印人についてはないので、今日でも重んじられている。中井兼之は敬所と号する篆刻家であり、始め浜村蔵六三世に学んだ。天保2年に生まれ明治42年に亡くなっている。本書は石川文荘などによって校閲され中井兼之の7周忌に発行されたものである。今日でも日本印人研究は充分とは言えず、さらに完全な日本印人伝が編まれることが望まれる。

  池田常太郎『日本書画骨董大辞典(抄)』は大正4年に日本美術鑑賞会から発行になったものである。第一編を書、第二編を画、第三編以降は骨董としてまた各分野に分け、古書、古筆、金石法帖、文房具、陶磁器、刀剣など骨董と呼ばれる分野については悉く触れようとする辞典なのである。今回ここでは書画の人物情報にのみ限って扱う性質上、骨董器物に関わる所は省略に従い、抄録とした。掲載は五十音順。索引に漢字の画数引きのものを巻頭に附録している。とにかく書画にかかわる人物であれば掲載していくという姿勢である。使用の印影についても本文に交えるがこれまで見てきたものと大差は無い。特に優れた印影ではないがこれでも当時は古書画鑑定の手引きとなったのである。

  杉原夷山日本書画人名辞書』は大正15年の発行。人物の配列は最も呼び習わされているところの名や号などの最初の文字の画数順による。記述は極めてまじめに行われており、書画人名辞書ではあるが当然収録はその専門家に限らない。儒者や漢詩人、藩主や僧であったりするが、必ず名の下に「書」が「画」かを明示していずれの分野で名をとったのかがはっきりしているのが評価できよう。正編に漏れたものは続編へ集め、さらに附録に『日本名家書画談』一冊を編纂している。

 日本美術書院昭和版日本書画便覧』は昭和3年1月に初版、2月には3版の奥付けが見える。お手軽便利を売りにした便覧物である。物故書画家に続けて現代名士の欄がある。師承や肩書き、名、号、所属分野、価格などまで書かれている。団体別 の受賞者一覧や現代美術科欄には住所と価格がついていて直ぐに注文が出せる便利一覧なのである。その後には美術愛好者のために博物館の所在や国宝一覧、書画鑑定秘訣などや美術用語一覧まである親切さである。いわゆる編纂物の昭和一桁版という理解でよいだろう。雅から俗まで、どこまでも広い書画の世界が厳然とそこにあるのだ。これは扱う側の扱い用によって如何なる性質にも変化していく資料である。

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 第66巻には松雲堂古今日本書画名家辞典』(1927刊)、市川太郎『近世書道名家史伝』(1934刊)、市川太郎近世/女流書道名家史伝』(1935刊)の3件を収めた。

  大阪の松雲堂古今日本書画名家辞典』は昭和2年に発行されている。全部14冊の辞典である。書家と画家とをまったく分けて五十音順に配列している。巻頭の例言・索引と年表・系図で2冊、本文10冊、増補2冊の構成となっている。本文には印影をも収めるが必ずしも全てを原寸掲載とはしない弱みはある。小型の本に仕立てているのも影響しているだろう。しかし、大型の辞典類検索の不便を思うと分冊しかつ小型にするのは実用の便利を考えてであろう。必要部分のみを持ち歩くことも可能である。しかしあまり分冊すると使っているうちに欠冊を出してしまうこともある。人物は網羅的に集めようとしている。もっとも記述は簡に過ぎる場合も間々見受けるが、これもこの手の辞典としてのあり方としては瑕疵とまではいえまい。

  市川太郎『近世書道名家史伝』は昭和9年に発行され、翌年姉妹編ともいえる近世/女流名家史伝』が発行されている。体裁は二書とも変わらない。どちらも書家のみの伝記としては数少ない部類のものといえよう。巻頭に120点の書の写 真が掲載され、凡例の言によれば、これはすべて著者所蔵にかかるものという。330人の書家記載の順は没年に従っている。当時の書についての見識者である河井仙郎から、どの程度までかは知り得ぬ が指導を受けているともいう。日本書道史といって書家史に入れ替わってしまうような類本の多い中、最初から人物史伝であると断じての執筆は評価しておきたい。さらに女流で一書を物したについても評価はあるべきだろう。掲載の人物は264人。小野通 に始まり有島武郎の母有島幸子にまで至る。

 第67・68・69巻には荒木矩『大日本書画名家大鑑』(1934刊)を収録した。昭和9年に同刊行会より発行したもの。伝記上編伝記下編落款印譜編索引編と4冊構成の大冊である。ここでもっとも意を使ったのは人物事項の検索に必要な索引の完備ということだろう。最も伝記編に重きを置くものである。巻頭は書画趣味者に教養的知識を開示し書道、筆道の何かから説きおこし、時代を追っての書画史について語り、明治大正の展覧会や協会、会派にまで言は及ぶ。書画家儒者国学者の系図まで附録している。そしてもう一つの目玉 とも言えるのが落款印譜編であろう。収集の範囲の広さ、原寸掲載であること、近現代の印譜については実捺資料の掲載でその利用価値は大きく、さらに落款印譜編にも完備した索引が用意されているのが実用性を高めている。

 第70巻は、帝国審美協会編集部『日本 古近/現代 書画家名鑑』(1936刊)、結城素明『東京美術家墓所誌』(1936刊)、小笹喜三『家蔵大師流諸家遺墨目録』(1937刊)、小笹喜三『大師流書家伝記資料挙要』(1938刊)、玉 椿荘楽只『日本古今書画便覧』(1939刊)、三村竹清『近世能書伝』(1944刊)の6件を収録した。

  帝国審美協会編集部『日本 古近/現代 書画家名鑑』は古近編と現代編の2冊に分けて、昭和11年に同時に発行された。「古近編」は古近日本画家、古近日本書家、物故書画家、画家書家系図、鑑定家と料金、古近落款印と盛りだくさんの内容をコンパクトに押し込めたという印象が強い。「現代編」は当時の現代日本画壇を象徴する会派別 掲載で住所録としての意味合いも強い。続けて書家、詩人、政治家軍人などと美術協会や書道会の役員一覧がついていて、現代書画家落款印譜を収めている 。

  結城素明『東京美術家墓所誌』は昭和11年に発行されたもので東京の美術家の墓所を示すとともに、その墓の主人公の略伝なと付記したものである。美術家とは日本画、洋画、彫刻、図案、漆工、金工、陶工、篆刻、評論、美術教育家など美術関係者の掃苔録である。掃苔関連の文献は江戸時代からあるが、ここでは美術家という視点から本書を収録するもの。著者の実地掃苔による記述であるから信用度は高い。しかし、墓地の状況は刻々と変化し墓碑は無縁となれば忽ち失われてしまう。墓碑も人物の情報源として見逃せぬ 価値があり、重要なものについては保存の措置を緊急にとってもらいたいものである。それについてはその価値を称揚し世の中に示すことも大切である。本書には書家の墓碑や能書による墓という立碑に関わった書画家としての視点が無いのが残念。世の多くの掃苔関連の出版物は墓碑の主人公でのみ、その墓を見るのである。

  小笹喜三『家蔵大師流諸家遺墨目録』は昭和12年に発行された僅か70ページ余りの抜き刷りのような簡易な冊子ではあるが、後昭和16年に『書道大師流綜考』としてまとめられた中に入っている。著者独自の収集と研究が新たな大師流の系譜を完成させ、その根拠となる遺墨資料の目録がこれである。広くその師承を追って資料の所在を明らかにしている。その文献の資料が昭和13年に発行された『大師流書家伝記資料挙要』なのである。およそ106名の大師流の書家についての伝記事項所載の文献を示し、誰でも検証できるようにしている姿勢は研究者として欠くべからざる資質といえる。大師流という一つの書流をここまで追って明らかにした例は他に知らない。

  玉椿荘楽只『日本古今書画便覧』は昭和8年に初版、昭和14年には再版されている。前半を画家、後半を書家として「あいうえお」の五十音で人物を配列する。後ろに書画家を没年順に年表に貼り付けたものが附録されている。便覧というだけあって簡便な利用を目的としたものであろう。

  三村竹清『近世能書伝』は昭和19年に二見書房から発行されている。細井広沢に書き起こし江戸時代に大流行する唐様書家に焦点を据えている。池永一峰、平林惇信、関思恭、松下烏石など今日ではなかなか正当に評価されない書家を扱った数少ない近世書家の専門伝記といえる。今日でも記述の内容には新鮮味を感じる名著といえるだろう。日本書道史の視点で見れば江戸時代を特色づけるのは唐様書道の流行にあるといえる。その流行を支えた主な書家がここに語られている。江戸時代の唐様書家について知らんと欲するならまず本書を読んでおきたい。巻末に若干だが索引もあって、読み物としてのみならず資料としての活用にも便ならしめているのである。

あとがき

  以上第61巻から第70巻に収録の書画に関連した文献を概観してきたが、それぞれに意図する切り口を持って編集・執筆されていることが分かる。時に時代背景と当時の流行や嗜好を強く反映し、単に人物の情報という意味のみならず歴史資料としての見え方もする。資料にはどこに視点を置いて見るかによって利用価値も変わる。類似の資料や展覧会向けの人物資料までも収録し、あるいは大部に過ぎて全部の収録を見合わせたものもあるが、人物情報の部分は落としていない。また管見によって見落とした資料もあるかもしれないが、まずここに全10巻34件になる書画編を集成し得たことの功は多とすべきだろう。解題冒頭にも述べたが、右に見てきたように書画家の対象と目される人物は書家、画家に限るものではない。書画家としての必要な人物情報は他分野についても検索あるべきで、まさに『日本人物情報大系』として多分野の人物が網羅され検索が可能となれば、これまで漏れがちな書画家として一般 に認識されない書画の作者をも押さえることができよう。

平成12年11月

(いわつぼ・みつお 文教女子大学)
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