皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

韓国無教会双書 全9巻・別巻1

内村鑑三の直弟子である朝鮮人無教会キリスト者、金教臣と宋斗用の著作選集

戦前日本に朝鮮から留学し内村鑑三に直接師事した無教会キリスト者、金教臣(1901-1945)と宋斗用(1904-1986)の著作選集。
日韓の関係者によって刊行が数十年に渡って準備され、2020年にキリスト教図書出版社・岡野行雄(1930-2021)氏の手により刊行が始まったが、翌年岡野が91歳で亡くなったために全10巻構想のうち4冊での中断を余儀なくされた。

今回、生前の交友により皓星社がその志を引き継いで残された6冊を編集し、既刊と併せて装いを新たに出版することとした。

 

韓国無教会双書(全9巻 別巻1)
第1巻 *信仰と人生 上 (金教臣)
第2巻 *信仰と人生 下 (金教臣)
第3巻  山上の垂訓 (金教臣)
第4巻 *日記1 1930-1934 年 (金教臣)
第5巻  日記2 1935-1936 年 (金教臣)
第6巻  日記3 1937-1938 年 (金教臣)
第7巻  日記4 1939-1941 年 (金教臣)
第8巻  信仰文集 上 (宋斗用)
第9巻  信仰文集 下 (宋斗用)
別 巻 *金教臣──日本統治下の朝鮮人キリスト教者の生涯
(* キリスト教図書出版社版の復刻)

(分売不可)

著者 金教臣/宋斗用
編者 森山浩二
発売日 2024年2月9日
ページ数 ページ
定価 35,000円(+税)
判型 A5判並製
装幀・造本 藤巻亮一
ISBN 978-4-7744-0803-3

推薦

推薦 月本昭男(立教大学名誉教授・上智大学名誉教授)/梁賢恵(韓国・梨花女子大学教授)/関根義夫(浦和キリスト集会主宰)/丹羽泉(東京外国語大学教授)/徐正敏(明治学院大学教授)/赤江達也(関西学院大学教授)/若松英輔(批評家・随筆家)

 

監修者のことば 森山浩二

戦前、日本の植民地支配下の朝鮮人学生たちが渡日し、内村鑑三の聖書集会に出席し、聖書とキリスト教を学び、帰国してそれぞれの職業に従事しつつ、1927年7月、6人の同人誌として『聖書朝鮮』を創刊、祖国を救うための愛国的行動として、聖書による福音宣教を展開しました。そして、1930年6月の17号からは同人誌を一旦廃止して、金教臣の個人誌として全責任を負い、1942年3月、「聖書朝鮮事件」によって朝鮮総督府により『聖書朝鮮』を158号をもって廃刊させられるまで、主筆として中心的活動をしたのが金教臣であり、彼を最後まで支え、協力し、共に戦ったのが、咸錫憲であり、宋斗用でした。
金教臣は惜しくも1945年4月病気で亡くなりましたが、彼の信仰の系譜を受け継いだ韓国無教会の廬平久氏により、金教臣が『聖書朝鮮』に書いた文章をまとめて、1975年、『金教臣全集』6巻が刊行されました(同じく、廬平久氏により、2001年から2002年にかけて、『金教臣全集』8巻と別巻(『金教臣を語る』)を併せて9巻、ハングル版として刊行)。
金教臣については、1970年代以降、日韓の歴史や教育・キリスト教の分野で関心をもたれ、その後、日韓の大学院や研究者の間で論文や著書も発表されて来ています。そして、2014年11月に、韓国に金教臣先生記念事業会が、金教臣の信仰と精神・思想・生涯を発掘、継承するとともに、韓国キリスト教の信仰の革新と教会の刷新に寄与すべく発足し、2015年4月25日、26日の2日間、韓国ソウルで「金教臣先生逝去七〇周年記念学術大会及び講演会」が行われ、以後、毎年おこなわれて来ています。そして、右の事業会では、2019年1月に「新版『聖書朝鮮』復刻版」として全7巻に索引をつけて刊行しました。
このような動きの中で、三十数年前から、私たち韓国語学習グループで、『金教臣全集』第1巻(「信仰と人生」上巻から半分を抜粋したもの)を数年かけて翻訳し、キリスト教図書出版社から出版することになっていたところ、その話を聞かれた盧平久氏が、「信仰と人生」下、「山上の垂訓研究」、「日記」なども出そうと提案され、さらにそれに加えて、戦前、『聖書朝鮮』の同人であり戦後も無教会伝道者として、聖書雑誌を刊行してこられた宋斗用の文章も2巻にまとめ、併せて出版することを提案され、翻訳は金教臣について第1巻と日記の半分を日本側で、その他は金振澤氏、宋斗用については曺享均氏が日本語で訳し、その訳文の監修は森山が行い、その後、紆余曲折を経て余りにも月日がたちすぎましたが、日韓の多くの方々の献身的な協力の下に、この度、ようやく、全9巻、別巻として『金教臣』(キリスト教図書出版社、1978年)の復刻版を出版することになりました。戦前から日本の無教会の内村鑑三をはじめ、黒崎幸吉、矢内原忠雄などの韓国語訳の本は韓国で出版されているにもかかわらず、内村の弟子であった金教臣や、宋斗用の著作の日本語での出版はされていませんでした。このような文化交流の偏頗性を克服すべく、朝鮮・韓国のキリスト者の信仰と思想を紹介する願いも込めました。この双書を通して、内村鑑三に聖書を学び、日本植民地下の苦難の時代に無教会の信仰をもって生きられた二人の先達の貴重な文章をお読みいただければと願います。

 

推薦のことば
かの地に結んだ豊かな実り 月本昭男

私が金教臣のことを最初にうかがったのは、1973年の夏、韓国女流作家の草分けのお一人、林玉仁先生からであった。夏休みを利用して2週間ほど韓国を旅した私は、そのころ日本におられた池明観先生の紹介状をもって、ソウル郊外に林玉仁先生をお訪ねした。先生はもんぺ姿で畑を作り、自家製の窯で焼物をする生活を送っておられたが、書斎の書架には『金教臣著作集』(1960年代に刊行されたもの)が並んでおり、苦難の時代にけっして真理を曲げなかった「うるわしい教育者、金教臣先生」のことを美しい日本語で私にお話しくださったのである。それ以来、金教臣の書き残した文章をじっくり読んでみたいと思いながらも、十分に果たせぬまま、四十余年が過ぎてしまった。
宋斗用先生は、金教臣、咸錫憲などと共に内村のもとで聖書の信仰を育み、「解放」後は自ら伝道誌『聖書信愛』(旧『霊断』)を刊行しながら、成人・児童の教育に携わった方である。私は先生について多くを知らなかったが、2012年に半年ばかり滞在したソウルで、先生を知る方々から、異口同音に、宋斗用先生は篤い信仰と深い隣人愛の生活を通して人々に福音を伝えた方であった、とうかがった。
このたび、『金教臣全集』ならびに『宋斗用文集』から選んだ文章を編んだ『韓国無教会双書』が刊行されることになった。この双書を通して、お二人の先生の信仰に触れ、その生き方に学ぶ機会が与えられる。それは、1920年代、日本において朝鮮の若き魂に蒔かれた福音の種が芽生え育ち、かの地で結んだ豊かな信仰の果実である。
その果実を味わうことを可能にしてくださった方々に深い敬意と感謝を表するとともに、この双書を介して、無教会という枠をこえて、日韓の心ある人々を結ぶ機会がつくり出されることを願ってやまない。

(立教大学名誉教授・上智大学名誉教授 旧約聖書学)

 

ネーションを超える無教会 赤江達也

無教会キリスト教を研究している読者のひとりとして、韓国無教会双書の完成を祝い、ここに推薦したい。金教臣と宋斗用の著作を集めたこの双書は、韓国の無教会を知るための必読書である。それは同時に、内村鑑三と日本の無教会に関心をもつ読者にとっても大きな意義をもっている。というのも、韓国の無教会は、内村鑑三にはじまる無教会キリスト教を理解するための鍵だからである。

いまから100 年前、1920 年代の東京で、6 人の朝鮮人学生が出会う。内村鑑三の聖書講義に参加していた2 人が、聴衆のなかに仲間を求めて出口で待ちうけて声をかけるのである。こうして知り合った6 人はともに聖書を学び、同人誌『聖書朝鮮』を創刊する。そして順次朝鮮へともどると、それぞれに活動を展開した。

1930 年代には『聖書朝鮮』は金教臣によって継続されていくのだが、1942 年に言論弾圧によって廃刊となる(聖書朝鮮事件)。金教臣は1945 年に病没するが、宋斗用らは戦後も伝道誌を発行しつづけ、日本の無教会信徒と交流した。その歴史を考えるための2 つの視点を提示しておきたい。

第一に、雑誌メディアの重要性である。内村鑑三は1900年、聖書講義の開始とともに雑誌『聖書之研究』を創刊し、「紙上の教会」としての無教会運動を開始した。金教臣や宋斗用らは、集会と雑誌という内村の伝道スタイルを継承している。かれらにとって無教会雑誌の刊行は、信仰的かつ政治的な実践であった。

第二に、信仰と愛国心の問題がある。宋斗用は次のようにいう。「金教臣は内村の「二つのJ」〔Jesus とJapan〕の意味を知ることになるや、金自身も「二つのC」を愛することになったのである。即ち「Christ とCorea」である。結局金教臣が「聖書を朝鮮に、朝鮮を聖書の上に!」としたのは正にそれであったのだ」(第9 巻103 頁)。

内村鑑三の「二つのJ」には、ネーションへと深く根ざしながら、それを超えようとする志向がふくまれている。金教臣は、その信仰と愛国心を継承しつつ変換することで、「二つのJ」の限界と可能性を開示している。内村鑑三の「二つのJ」から金教臣の「二つのC」への展開は、20 世紀アジア・キリスト教史の中心的な課題なのである。

(関西学院大学教授・宗教社会学)

 

新しい東洋的キリスト教の基点 若松英輔

内村鑑三における無教会運動の本質を探究するとき、ある人は、内村が書いた「二つのJ」――Jesus(イエス)、Japan(日本)――を想起し、彼の影響を日本人と日本国内の現象として考えようとするかもしれない。だが、それは二重の意味で十分ではない。
まず内村は若き日から邦文だけでなく、英文の著作を重んじ、世界に向けて言葉を送ろうとした人物だった。終生の友を国内だけでなく、海外にも有していた。
内村に魅せられその同志となった人たちも日本に生まれ育った者だけでなく、海を隔てた場所から訪れ彼の門を叩いた人たちもいた。その象徴的な人物が『韓国無教会双書』叢書の中心となった金教臣であり、その仲間であった咸錫憲、宋斗用だった。
彼らは内村が雑誌『聖書之研究』を発行したように、内村に学んだあと、母国にもどり雑誌『聖書朝鮮』を十五年にわたって世に送り続けた。
彼らは受け継いだのは福音を民衆に送り届けることだけではなかった。若き内村は、大きな試練を背負わねばならなかった。ここに集められた言葉は、彼らの真摯な信仰のありようだけでなく、幾多の辛酸をなめる経験のなかでそれが陶冶されていく様子を伝えている。
『聖書朝鮮』の主筆だったのは金教臣である。本双書にも収められた金教臣の『信仰と人生』が彼の没後2年、1947年に刊行されるとき咸錫憲は次のような言葉を書き記している。「生命のこもっていない死んだ文字、文章の氾濫している狂ったような時代に、なにゆえ好んでこのような本を出版しようとするのか」と自ら問い、こう言葉を継いだ。

 

それゆえにこそ本物の文章、生命ある言の存在を望むのである。汚れ切った霊を追い出す聖霊を待ち望むのだ。(『金教臣 日本統治下の朝鮮人キリスト者の生涯』p10より引用)

 

咸錫憲の言葉は、七十余年を経た今でもまったく力を失っていない。内村の霊性は、彼の生前だけでなく、没後も彼の謦咳にふれたものによって深められ、韓国におけるキリスト教の文化内開花に重要な影響を与えた。
本書を繙いていると日本精神史という一国史的な視座では、無教会運動の本質と可能性は十分に認識できないように思えてくる。キリスト教を東洋的霊性として認識する。ここに日本と韓国の古く、そして新しい関係、そればかりか霊性的共同体としての東洋の可能性が垣間見られるように思われてならない。

(批評家・随筆家)

 

金教臣(1901-1945)

咸鏡南道咸興沙浦里生。1919年咸興公立農業学校を卒業して渡日、内村鑑三の聖書講義に通い無教会主義に目を開いた。1927年に帰国し、内村門下の咸錫憲、宋斗用ら6人の同志と『聖書朝鮮』誌を創刊。1930年以降、主筆として同誌を主宰した。1942年筆禍による聖書朝鮮事件のため検挙され、1年間入獄。解放前の1945年4月25日、発疹チフスのため44歳で急逝した。

 

宋斗用(1904-1986)

忠清南道大徳郡生。1925年東京農業大学予科に留学して渡日。キリスト教無教会主義の内村鑑三の集会に通う朝鮮人に声をかけて聖書研究会を始め、同門の金教臣、咸錫憲ら6人での『聖書朝鮮』誌の創刊に最年少で参加。1942年聖書朝鮮事件で検挙され、1年間入獄。戦後は個人伝道誌『霊断』『隠れたくらし』『聖書人生』『聖書信愛』を発行した。