皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

ハンセン病資料館の改革と「不当解雇問題」の本質、全療協執行部の不当介入批判--「全療協ニュース」最新号を読む。

 - 

全療協執行部の迷走の発端になったハンセン病資料館の稲葉上道君らの不採用問題は、彼らの主張するような「労働問題」ではなく、「職場の改革問題」であることは既に述べた。所属するでもない組織への論評は遠慮すべきかもしれないが、そもそもそのような「遠慮」が他組織であるハンセン病資料館の人事や経営に干渉しようとしている全療協執行部の横車を許しているのであって、資料館の設立当初から経緯を知り、今回の「職場改革」を支持するものとして旗幟鮮明にする責任があると思っている。

文責・皓星社 藤巻修一

 

全療協の前事務局長・会長の神美知宏さんの罪は「自分が死んだら全療協は終わり」という強烈な自負のために後継の育成を怠ったことだ。たまたまその場にいあわせたためにその任ではない者が責任ある立場についてしまったことによる悲喜劇は歴史上枚挙にいとまがない。

 

神さんはじめ歴代全患協は権力と対峙するには一枚岩でなくてはならないと全会一致を原則としてきた。あの国賠裁判でさえ全支部の同意が取れないと距離を置き、裁判の勝利報告集会ではじめて「ここに立つのをジリジリする思いで待っていた」と神さんが語るのをこの耳で聞いている。これに反し、現在の全療協執行部は性急に我意を押し通すために分断の危険もかえりみず安易に多数決を導入してしまった。

 

いま『全療協ニュース』(1074号)を見ると第81回臨時支部長会議の「まとめ」として「稲葉問題」を他の重要問題を差置いて議題の筆頭に上げ、「組織決定はないが」とその多数決さえ得られないことを告白しながら「全療協は全面的に支援する立場で取り組むことを決定した」という。論評不能な支離滅裂さである。

 

ハンセン病の資料は自分たちで収集保存しないと歴史は隔離を推進してきた権力側の資料だけで書かれてしまうという問題意識で生涯かけて資料収集と保存にあたってきた山下道輔さんや双見美智子さん。その精神を受け継いで資料館建設を進めてきた佐川修さんや平沢保治さんらの業績を「当事者」という言葉のまやかしで簒奪し資料館は全療協が作ったと強弁し、たった二十年余の歴史さえ都合よく修正して、ハンセン病資料館の経営権を狙う。事務局長が2018年以降突然に資料館の経営に執着するに至ったのは、資料館の「改革」への私的不満であることは既に述べた。そのような純粋とは言えない動機を持つ執行部が資料館運営に関わったら、事あるごとに運営に口を挟み人事を捻じ曲げることは目に見えている。

 

また、関係者の中には「全患協・全療協のたたかいの延長線上に国賠訴訟の提起を位置づける」ことが重要である(『ハンセン病問題から学び、伝える』ハンセン病市民学会編)と指摘するむきがある。しかし、これは歴史的事実と異なる雑でなければ政治的な発言と言わざるを得ない。確かに全患協は「らい予防法反対闘争」は闘ったが、その後、方針転換して「予防法」を根拠法とする処遇改善闘争に舵を切った。従って「予防法廃止」も「国賠裁判」も「全患協・全療協運動」とは違ったベクトルから提起されたものである。これは全療協運動の正誤を言うのではなく次元の違う話なのである。だが、こうした言説が全療協執行部の歴史修正と表裏一体となってその強弁を後押しする結果になっているのは事実ではないだろうか。

 

『全療協ニュース』(1074号)は「来年度中の(資料館運営の母体になる)法人設立に向けて努力することを決定」したという。また『全療協ニュース』(1051号)によれば既に「受け皿となる法人設置準備会」なるものが2019年4月に開催されて参加者名も公表されている。全療協が資料館運営に触手を伸ばすことに全く正当性のないことは既に述べた。さらにここに至って「能力」にも疑問符が付く。「受け皿」さえつくれば自動的に管理者に指定されると信じているのだろうか。このような杜撰な「努力」で国の指定基準を満たす「法人」が設立できると本気で考えているのだろうか。迷走を黙認する各支部や関係者は自分が何に加担しているかよく考えていただきたい。

 

また、自らを「当事者」と強調するのは一種の特権意識にほかならず、錦旗のようにふりまわし異見を封じ、共に闘うべき関係者を「当事者であるなし」で二分する行為である。これは、運動として最も避けるべき分断工作を内外に向けて自ら行っているに等しく、組織として思慮を欠く愚かな行為と言わざるを得ない。

 

関係者の沈黙が事務局長の専横を許し、筋の通らない前館長への執拗な退陣要求の挙句、意中の人物を館長に就任させるという成功体験をもたらし、もはや自己の使命すら見失ったと言わざるを得ない全療協執行部に望蜀の野望を抱かせてしまったのではないか。猛省すべきはむしろ暴走を黙認してきた我々ではないだろうか。

 

運動の終末期には矛盾や問題が顕在化するのが常とはいえ伝統ある全療協の晩節を汚すことは誠に残念なことである。資料館の成立、国賠裁判の結果としての国立移管の経緯を直接知る人がまだまだ大勢いる筈だ。友人をもって任ずるなら、このようなときに憚らず直言を呈するのが本当の友情というものではないのだろうか。

あえて一文を草して火中の栗を拾う愚をおかす次第である。