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ハンセン病資料館における稲葉上道君たちのいわゆる「不当解雇」問題を巡って【5】 『むらぎも通信』を読む――銃は照準を合わせて本当の敵に向かって撃て、街中で散弾銃を撃つな 付・【伊波敏男さんのメッセージを読む】

9月29日に「古い友人たちに」という「短文」を書いた。

https://www.libro-koseisha.co.jp/info_category/statement/
https://www.libro-koseisha.co.jp/info/20200929/

それは国賠闘争を闘いながら今ハンセン病問題から遠ざかっている古い「闘士達」がこの問題に飛びついてまたぞろ発言してくるだろうことを予想したからだ。なぜならば稲葉君側は、それを狙って巧妙に撒き餌をまいているからである。問題の初期から跳ね上がっていた田中等君はともかく、予想通り食いついたのがこの『むらぎも通信』(2020年10月25日発行 315号)だ。ハンセン病国賠裁判を関西で支えてきた兵庫解放教育研究会の機関誌である。小生の「短文」は、左翼好みの「人権」や「不当解雇」はては「笹川」などの撒き餌に条件反射しないで、事実に基づいた冷静な思考を促したつもりだが、まさに危惧通り国賠裁判以降全く思考停止した焼け野原である。

 

(何度もこの問題の言及しているうち今更ながら気がついた。裁判を闘った世代の一部に当事者を含めて今の資料館に漠然とした違和感があるとすれば、加害・被害に極度に単純化された「裁判史観」から自由な第二世代が育っていることかもしれない。第一世代は裁判史観に事実を当てはめようとするのに対し、第二世代は事実から出発する。僕はこういう世代の出現を待っていた。『ハンセン病文学全集』などを編纂していれば、裁判史観に単純化できない多様な事実があったことを知っているからね)

 

冒頭、倉田君の文章があるが、個人的に倉田君には鉄砲を撃ちにくい。しかし、個人的な感情を優先したら僕が批判してきた某事務局長の公私混同と同じになってしまう。ここは歯に衣を着せないのが友情というものだろう。

 

倉田君の文章の前半は、稲葉君の主張そのものだし、倉田君らしさの現れているのは「モーターボートのテラ銭を原資として、金のチカラでその素性の如何わしさを覆い隠し、以前から〈哀れで可哀想なハンセン病者たち〉に係わってきた。後ろ暗さをカバーする名誉が欲しくて、ありていに言えば資料館の社会的信用を乗っ取ろうとしている魂胆が見えるようだ」という当事者ならではの「笹川」に対する嫌悪感のみだ。しかし、後述するようにこの「感情」を稲葉問題に結びつけるには、強引なポエムが必要になる。

後半もまた全療協の館長排斥の主張をなぞったものに過ぎない。倉田君の結論は「入所者の募金活動から始めた資料館はやがて国立とはなったが、本来は部外者である請負団体が歴史を〈修正〉し、国側に不都合な資料を、その価値を知らないまま隠蔽することを怖れる。まるで虐殺のような大阪人権博物館休館のニュースに憤慨しつつハンセン病資料館を横目で見る」という本質的に違う橋下維新の「リバティおおさか」潰しをハンセン病資料館に絡めて連想ゲームのように眇に見たものである。

この文章の特徴は、事実から出発せず頭の中の単純化された敵味方の構図に稲葉問題という「事実」を当てはめた典型である。

 

これに批判も検討もなく脊椎反射したのが『むらぎも通信』の筆者であるが、機関誌である以上、個人の見解ではなく「兵庫解放教育研究会」の公式見解ということであろう。

日本のメディアは、背景を掘り下げた報道をしないと批判される。日本の市民運動も背景を深く掘り下げることをしない。背景があり因果があって結果がある。その検証なしには結果が正当か不当かわからない。

背景を知るためには歴史を紐とかなくてはならない。稲葉君を「不当解雇」と言うならば、資料館における稲葉君の歴史、すなわち稲葉君の在籍18年の実績を検証しなければならない。単なる「経験豊富な学芸員」では説得力にかける。

しかし『むらぎも通信』の筆者に限らず全ての稲葉君擁護の論調のなかに見事にかけているのはこの部分だ。稲葉君在職の18年間の実績についての言及が全くないのである。その代わりに、稲葉君が資料館に入る以前の資料館草創期のエピソードや松本馨さんや山下道輔さんの「思い」を引っ張り出して、18年の時空を超えて「稲葉問題」に直結しようとする。木に竹を継いでも無駄なことは子どもでもわかる。

それを言うならば、松本馨さんや山下道輔さん等の思いを稲葉君がどのように継承してきたか、何をして何をしなかったか具体的に上げて欲しい。稲葉君もそれが出来ないことが分かっているから、反対のしようのない「理念」を掲げて自分こそその体現者のように振舞う。かかげる「理念」は稲葉君が独占するものではなくそれに反対するものを見たことがない。

 

この、26ページにわたる『むらぎも通信』のほとんどのページは、国賠裁判勝利前後の運動の回想、ハンセン病問題と障害者問題、1991年(30年前!)の山下道輔さんの旧稿等で占められていてみるべき「稲葉問題」への分析はない。

 

ただ一点、自分が関わってきたことなので「つぶされた「ハンセン病図書館」という項目には私見を述べておきたい。資料の移管の経緯を「山下道輔さんらはハンセン病図書館友の会を結成し、最後までその存続を求め続けていたのだ」とあるが、友の会を発起したのは斯く言う小生であって、その間、松本馨さんの逝去に際しては記念講演会をしたり、ハンセン病図書館の目録作成を口実に移管の引き伸ばしをはかったりした。また、資料移管反対の理由の一つには当時から学芸員つまり稲葉君の仕事に対する姿勢への危惧もあった。しかし、山下道輔さんが自治会の決定を受け入れることを表明してしまった。我々は山下さんの日和見に落胆したが、療養所という閉鎖されたムラ社会の中で生きる山下さんの立場も理解できた。そこで、ハンセン病図書館の存続を求めるという目的を失った以上、山下さんの立場を損なわないよう表に立った自分は引いたほうがいいと判断した。残った人たちは、山下さんの周辺でハンセン病図書館の経緯の聞き書きをしたり山下さんを励ましてきた。つまり、「ハンセン病図書館友の会」は「山下道輔友の会」となって継続したのである。

ついでに言えば、我々はハンセン病資料館の国立移管にも反対した。国賠裁判の勝利の後、資料館の国立移管を要請したのは原告、弁護団、そして裁判勝利の後に駆けつけてきた全療協を含む統一交渉団だ。我々は賠償金を拠出して自前の運営体制を作り自主運営すべきであり、それは今をおいてはなく、それが松本馨さんの思いを引き継ぐ途だとしたが、我々の呟くような声は一顧もされなかった経緯がある。

その自分がハンセン病資料館と現・学芸員の諸君を応援し、ハンセン病図書館の閉鎖や国立移管を主導したり傍観した人たちがハンセン病資料館を批判し稲葉君を擁護するのも奇妙な構図だ。

 

『むらぎも通信』は、上記のように稲葉擁護の根拠も語らない。何よりも自ら「この問題について解雇された稲葉さんの主張をもとに書いてきたが、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)は今回の問題に対しどう捉えているか」と記しているように、稲葉君と全療協の主張をなぞっていることを告白している。

 

(全療協の奇怪な行動については別稿で詳述している)

https://www.libro-koseisha.co.jp/info/20200901/

 

そして木に竹を継いだ結果、パワハラ、ネグレクトを告発して組合を結成、組合つぶしのために「不当解雇」されたという稲葉君の描いた「日本財団 対 組合員」という構図は、稲葉君の思惑を超えて、「国家権力の陰謀 対 犠牲者・稲葉上道」という稲葉君自身も驚くような「壮大な物語」として展開されることになった。

すなわち稲葉問題は「入札制度という隠れ蓑を利用し、運営受託者を国の意向に沿う団体に変更し資料館の在り方や理念をねじ曲げ、在園者自身から国主導へと転換、そのためには稲葉氏らを資料館に置くわけには行かなかったのではないか」「国・厚労省は、国が『運営または設立する』資料館で、日本のハンセン病政策への批判が公然となされることに対する時間をかけての巻き返しが、成田氏の再任、資料館受託者の変更、資料館の機構や人事の改変等、そして稲葉氏らへの解雇を通し、いま徐々に進行しているのではないか」という主張がそれだ。

しかし、いずれも末尾を「ではないか」と締めくくっているのは正直というものである。推測に基づいた「ストーリー」であることを無意識にも自覚しているのであろう。

 

かくて『むらぎも通信』からすれば、稲葉君は並み居る学芸員のうちでも「資料館の在り方や理念をねじ曲げ」ようとする国家権力にとって最も目障りな重要人物だということになる。ついに話は「組合つぶしの不当解雇」から「国家権力による粛清」の様相を呈してきた。ならば聞く。彼は「粛清」されるほど、国の意に反して入所者の側に立って、あるいは先人の思いを継承して何をしたのか。国の意向に逆らってどんな抵抗をしたのか。

 

そうではなく、稲葉問題は職場の改革運動であること、すなわち「労使問題」ですらなく「労労」問題であり、稲葉君の専横にたまりかねた現場の学芸員の起こした「改革運動」が問題の本質であることは既に述べた。

資料館の草創期に資料館に就職した新人学芸員は、指導する先輩学芸員もいないまま収蔵資料のメタデータも作らず寄託された資料は資料庫に入れたままホコリとカビまみれで放置し、啓発活動もおこなわず「紀要」も作らなかった。どうしていいか分からず、出来なかったのかもしれない。しかしこの間、運営管理団体である「ふれあい福祉協会」「科学技術振興財団」は新人学芸員に対して適切な指導をしないで「事なかれ主義」に徹して放置してきた。一方、稲葉君は始め「館長のアッシー」と揶揄されながら館長の私的運転手まで買って出て館長に取り入り、館長に名前ほどの実権のないことに気づいた後は全療協のボスに取り入ることで批判をかわし保身をはかってきた。

そのため稲葉君は軌道修正の機会を失い、18年を阿Q的な「精神勝利法」でプライドを保ちつつ保身のためだけに注力して実力ある学芸員として成長するための時間を浪費してしまった。そして最後には最古参の学芸員として自己流のやり方に固執し他の学芸員や来館者に対して横暴に振舞う存在と化した。そして起こったのが今回の「改革」の動きである。

だから今回の現場の改革の動きの中であえて火中の栗を拾い改革派学芸員の側に立った日本財団・笹川保健財団の姿勢はその意味において評価に値する。笹川財団の成り立ちを言うが、生真面目な教条主義者は、「黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのがいい猫だ」というリアリスト鄧小平を少しは見習ったほうがいい。

 

さらに、ハンセン病資料館の在り方や展示の改変などを管理受託団体が勝手にできるものではなく、資料館の運営や展示は、全療協事務局長、原告団、弁護団の代表を加えた資料館の運営委員会、企画検討会、展示見直し検討会などの検討の上でおこなうよう幾重にも担保されている。

また、仮に大阪人権博物館のような事態が起きた時、阻止する力になるのは、現・学芸員が努力している啓発活動を通して資料館やハンセン病問題を知ることになった市民やジャーナリズムの後押しではないか。

 

だから、一連の「改革」の動きを「請負団体が歴史を〈修正〉し」(倉田君)「日本のハンセン病政策への批判が公然となされることに対する時間をかけての巻き返し」(むらぎも通信)という「反動」の動きに巧妙に逆転させるのは稲葉君の狙う方向性にほかならず、それを無批判に発展させた空想物語であって、見当はずれに撃った弾は一生懸命に18年間の空白を取り戻すべく励んでいる現・学芸員の足元を直撃している。

 

銃を撃つなら照準を定めて本当の敵に向けてもらいたい、妄想とも言うべき思い込みで市街地で散弾銃を乱射するような迷惑行為は止めてもらいたいものだ。

 

【伊波敏男さんのメッセージを読む】

ここまで書いて、12月1日に支援する会のページに伊波敏男さんのメッセージがアップされているのに気がついた。

https://against2020hansens-issues.info/archives/298

それにしても稲葉君サイドの、国賠裁判時代の「闘士」から療養所のリーダーやボスばかりでなく伊波さんのような孤高の人にまで手を伸ばす作戦の周到さには驚くばかりだ。

伊波さんに噛み付くのは気が重いなと思いながら一読して安心した。短文で抑えた筆致ながら「労働問題」として真正面から論じていてその限りにおいて異論はない。これが限られた情報の中ではまっとうな反応というものであろう。日付を見ると書かれたのが6月23日の慰霊の日、発表が12月1日である。何故半年も寝かせたのか、抑えた筆致だから他の文章やインタビューに比してプロパガンダとしてはインパクトがないと判断したのかもしれない。

 

伊波さんの文章は、他の論調のように陰謀論めいた「資料館の変質」とか「物言わぬ先人を祭上げて担ぐ」ような強引なこじつけがない。律儀に「古い『労働者観』で語っているかもしれないが」などと書かれると「いえいえ、そんなことはありません」と言いたくなってしまう。一般的な問題としては伊波さんの言うことには異論はない。「学芸員の文書批判」についても労使問題として捉えたこの文脈で言えば理解できないわけではない(文章の日付が6月23日 学芸員の文書発表が7月4日だから文脈を損なわず追記するには、深くは触れられなかったのだろうし)。しかし、労労問題としてみれば、稲葉君の一方的な主張に対する、同じ労働者である一方の当事者の反論を切り捨てることになるのではないか。

今回の問題は、繰り返し言うように「労使問題」の範疇に収まらず、稲葉君の18年の行状と学芸課長として独善的で硬直した支配が、他の学芸員による「改革運動」を引き起こしたのが発端なのだ。

 

僕はこの問題を知ったとき、稲葉君への処置は遅きに失したと思いながらやり方について違和感を持った。だから最初は「やり方が悪い。むしろ理由を挙げて『分限免職』にしたほうがよかったのではないか」とツイートした。現在に至っても納得しているわけではない。過去の書いたものを見てもこのことに関しては「稲葉問題」などとぼかしたり「最適解ではないかもしれない」などと歯切れが悪い。

そもそも「採用試験」などという発想と判断が現場の責任者から出るはずもなく、しかるべきレベルで解決策を検討したのであろう。その結果、「解雇」>「期間満了による雇止め」>「試験による不採用」の順に法的責任が軽いというような法律については専門家だがおそらく労働問題については経験の乏しい(なんせこの三つは労働問題的には「同義語」だから)弁護士の判断か助言で採用された方法かもしれない。

材料はいくらでもあったのだから、伊波さんの言うように「会館(ママ)の運営上、よほどの損害を与えているか明示」したほうがよかったのではないかと思う。正面からの方法は、「試験による不採用」というような小手先のやり方に比して胆力はいるが、彼我ともに問題の所在がはっきりして陰謀論めいた資料館の変質とか礼を失した館長問題やらに飛び火することもなかったのではないかと思う。

ただ、これは方法についての話であって、「結果」についてはこれ以外になかったと思う。なんせ稲葉君は単なる復職ではなく「資料館を元のあるべき姿に戻せ」と主張している。「元のあるべき姿」がなんであるかは知らないが、この主張はここ数年のハンセン病資料館の有りようと現・学芸員達の努力を全否定するものであり、稲葉君にも妥協する意思はないようだから。

伊波さんの言うような紳士的な態度で解決できる相手と段階ではないのだ。