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ナンコウシュウ・作

編集発行人 能登恵美子

2002年3月29日発行
ご意見などございましたらこちらへどうぞ。
*『ハンセン病文学全集』編集室ホームペイジを「みみずく通 信」と名づけ、冊子でも創刊しました。(2001・8・1)
 
加賀乙彦氏講演 2002・2・23栗生楽泉園にて  
日本文学への贈り物
   

田中 先日、園内放送でお知らせをいたしましたように、皓星社の能登さんから作家の加賀乙彦先生が来訪されるというお話をいただきました。加賀先生は、現在皓星社で編集中の『ハンセン病文学全集』の編集委員をなさっておられ、その関係で本日おいでいただいております。本日は「加賀乙彦先生を囲んで」ということで、先生のお話をお伺いし、またその後、時間があれば懇談という形で進めていきたいと思っております。 なお申し遅れましたが、私は司会を務めさせていただきます田中です。

加賀 加賀乙彦でございます。私は昨日、初めて『ハンセン病文学全集』の小説の作品の舞台になった場所を、この目で見たいという思いでやってまいりました。そして、昨日と今日と園内をいろいろ歩いて見せていただきました。今朝は重監房のところを、雪深い中を上っていってその跡を見てまいりました。

皓星社は『ハンセン病文学全集』を刊行したいという、十年以上前からの企画で資料を集めてこられた。これは地道な大変な労力のいる仕事だと思います。この『ハンセン病文学全集』は昨年の裁判の勝訴ということが励みになったし、それを期に「ハンセン病の歴史」をきちんと今の時点で整理しておく、その一つの試みとして「文学全集」というものは一番大切じゃないかというような思いもありまして、協力することになりました。 私が小説を受け持ち、大岡信さんが詩と短歌、俳句、いわゆる詩的な作品、鶴見俊輔さんがエッセイ、記録や児童作品、大谷藤郎さんが評論を編集なさるということになりました。そこで私は小説の資料を読む作業に入りました。『ハンセン病文学全集』の小説は、3巻構成となっており、かなり大部のものになるというふうに思われます。 編集部から送られてきた資料は膨大で、コピー用紙にしますと50センチ近くにもなり、私はそれを読み終えるのに2ヶ月近くかかりました。私は、「ハンセン病文学」についての専門家ではありません。もちろん北条民雄の「いのちの初夜」とか、「癩院受胎」など、『定本北条民雄全集』上下巻は読んでおりましたが、今までそれほど多く読んできたわけではありません。また読む前の気持ちを正直申しまして、大変重くて暗くて絶望的な状況の文学であろうという予測で、なかなか読み始められませんでした。しかし実際に読み始めてみますと、ほとんど一気に100編ほどの作品を読みました。

ある程度、私の予感は的中した面 もありましたけれども、そうじゃない面も随分ありました。たとえば、非常に困難な状況にありながら明るくユーモアを失わないでいる人たちとか、隔離の現実から目をそらさず、しかも、園の外(社会)への視野をひろげ、園外の人々と交流する。 私は文学というのは、何よりも大切なのは文体、その人独自の文章の力だと思っています。たとえば北条民雄の文体は、きっかりとして重い、割と歯切れはいいですけれども、どこかよくわからない奥行きを持ったような不思議な文体です。あれは彼の独自の文体です。しかし、そうではないもっと軽やかでありユーモラスで、一見あまり深くないような形で文章を書きながら、実はとても深いところで人をドキリとさせるようなそういう文体もありました。

これが文学というものの醍醐味でございますけれども読み終えた後、やっぱり「ハンセン病文学」というものは確実にあると実感したわけです。そして、それは非常に豊かなもので、日本文学にとっては大きな贈り物になるのではないかというふうに思いました。「ハンセン病文学」には病気になられた方の、内部から噴き出してきた文章があります。私は小説には、エッセイとは違ってフィクションめいたところ、たとえば誇張とか省略とか、そういうものがあって、それが文学としてエッセイとは違う小説という形で定着されるものだと思います。

この豊かな文学の中で、私が思うに、日本人全体に知られたというのは北条民雄ぐらいのものじゃないか。そのほかの方々の作品は埋もれていた。島比呂志さんみたいな、九州の方でかなり幅広い文学活動をされている方の作品は、その地方では知られておりますが、全体としては、日本の文壇と違う閉じられたところでの行われた営みであった。いうなれば日本の文壇と違うところでの一つの文学の集団があったと私は思います。

それが私にとっては大きな驚きと同時に喜びだったのですね。やっぱりこういうものは後世に残しておく価値がある。したがって、文学全集という形でまとめておくということは、とても大事なことだと思います。 今、元ハンセン病患者の方々は、高齢化し入園者数も少なくなっている、社会復帰した方もおられるし、ふるさとへ帰った方もおられる、その他いろいろな人生を経ておられますが、そういうことを考えると、今まとめておくということがとても大事だと強く思います。 そしてその次に申し上げたいことは「ハンセン病文学」を考えるときに、時代がとても大事だということです。どの時代に書かれた小説か、どの時代を主に視野に入れているかということが重要で、これは文学は全体にそういう時代の制約というものの中にあるにしても、ハンセン病文学を考えるときに、特に時代というものと無関係にはとても考えられないのです。

病気が不治の病といわれていた時代。それには北条民雄の小説が代表とされましょうが、その作品はやっぱり北条の時代のハンセン病者の人々の意識や、世の中の人々の意識を代表しているものであって、それは今の方々にはずいぶんと古臭く、偏見に満ちたハンセン病の描写 だというふうにとられそうだと思うのですが、それはあの当時の真実であって、それを北条民雄が、多少の誇張はあったにしても、あの時代の人々の姿を活写 して後世に残した。それが川端康成を中心とする当時の文壇人の心を揺り動かして世に出るきっかけになった。

私は読んでいるうちに気がついたのですが「ハンセン病文学」というものが始まったのは、北条民雄以後なのですね。北条民雄の前に誰かが作品を書いているのではないかと思い、私も少なくとも単行本については国会図書館に何回か通 いまして調べてみたのですが、どうも今のところ見当たらない。すると、北条民雄があの昭和十年代に小説を書いたというのは、コロンブスの卵みたいなもので一つの文学的な営みの「生きる喜び」あるいは「苦しみ」、また自分たちの立場というものを世の中に知らせるきっかけになったように思います。

そして、その後、軍国主義時代の締めつけと飢えの時代がやってまいりまして、戦後プロミンによって治療の希望が出てきた時代、そして「らい予防法の違憲判決」まで、ハンセン病の歴史をたどってまいりますと、そういう時代と文学とは密接な関係にあるように思います。 例えば、元ハンセン病の方々にお会いしてお話を伺う機会がございましたが、北条民雄の作品は暗過ぎるのじゃないか、あれは今のハンセン病の現状からは、あまりにも遠くてハンセン病に対する差別 や偏見を助長したのではないかとおっしゃる方もおられます。私は確かにそういう面 はあったけれども、しかしハンセン病の歴史において、隔離政策が行われ、そしてまだプロミンが発見される前の絶望的な状況下で、人々がどういうふうにあったかということを、非常に的確に正直に伝えた功績はあると思います。そしてそれは、その後ハンセン病の園の中での文学活動に大きな影響を与えたと思います。

多磨全生園で、北条民雄も関わった「文学サークル」という文学集団ができまして、その後も志を継ぎ優秀な作家が出ました。この方々は戦争中に亡くなられてしまった方が多いようですが、そういう過程で何か凄惨な文学活動というようなものがあったようにも思います。それから、ここ栗生楽泉園についても、多くの人々が戦争中から文学作品を書いていて、その中の傑出したものをいくつも私は指摘することができます。

私はその中でここにおられる桜井哲夫さんの「盲目の王将物語」というのを読んだときに、とてもびっくりしたのです。病気によって視力を失って、暗黒の最中で生けるしかばねのようになって過ごしていた主人公が、ふとした機会で将棋を覚えて、そして熱中して、次第に「生きる望み」を得ていく過程が、これが不思議に飾らない文体でうまく書き込まれている。

他には、この方は亡くなられておるのでどういう方か存じあげませんが、名草良作という方の「生きものの刻」というのを読んだときに、極端な極限状況の中で「飢え」、「凄惨」というものが日本文学にない迫力で描かれておりました。日本文学はもう少しやんわりとして叙情的で美しいものを書いているけれども、こういう世界も文学の題材としては大事だというふうに思いました。

いろんな作品を個々に論じるということは、私は今日はするつもりはございませんけれども、自分でさまざまな作品を読んでいるとこういうことを思いますね。文学というのは、やっぱりその人の性格、持ち味というものなのだと。その人が社会にいたとしても、あるいはハンセン病の園の中にいたとしても、その人の持ち味というものは変わらない。「ハンセン病文学」として一括される何か特徴というものは、あまり私は見出すことができなかった。そうじゃなくて、一人一人の作者の性格とか持ち味とか、そういうものに感激いたしました。その方が文学的な営みとしては確かなもののように思います。つまりまず事実があって、事実を正確にきちんと映すというのではなくて、自分の持っている人間的な特質というものをまず文章に映して、その一つの題材として「ハンセン病療養所」があるということを感じます。

例えば沢田五郎さんがここにいらっしゃいますが、沢田さんの作品で「青蛙物語」があります。「青蛙物語」を私はぜひ全集に収録したいと思います。この作品には不思議なユーモアがあります。悲惨な状況だけれどもいつもどこか自分を一歩離れて見ている目があるのですよね。また話の運び方が独特で、読んでいて少しも飽きない。長い作品でありながら、この作品の世界に引き込まれていく。これは、一つはこの方の持っている文体、独特のユーモラスな感覚というのが、これが文体にしみだしていて、実際はとても、普通 に書いたら悲惨その極であるような、そういう状況が、読む人にはちょっとした息抜きのユーモアを持ってとらえられる。こういうそれはちょうど落語とか漫才と同じで、ある種の芸というものが文学の世界にはあって、それが小説を独特の存在感でもって示してくるというふうに私は思います。

あと一つ、この栗生楽泉園でも、戦争中から戦後にかけていろいろな事件がござました。殺人事件もありました。それを主題にした作品も私も読みました。これはすごい場所だというふうに思ってまいりました。それが戦後、プロミン以後、だんだんに改革が進み、治療が進むにしたがって、社会復帰される方も出てくるわけです。 私は、冬敏之さんの『ハンセン病療養所』を共同通信発行の地方紙「今年の三冊」の一冊に選んだのです。毎年作家には「今年一番印象に残った作品を三つだけ挙げろ」と新聞社から言ってくることがあるのです。(笑)冬敏之さんの「街の中で」は自分が社会復帰するためにいかに苦労したかを描いています。実際に就職しようとしても、なかなか就職できない。職業安定所に何度も何度も行くのだけれど、その度に理由は言わないけれども就職できない。あなたには就職歴がないと言われたりする。しかし何度も何度も通 っているうちに、その職業安定所の職員が困った顔をするのですね。また来たかって。それで冬さんも、向こうが困っている内情がよくわかる。お互いに顔を見合わせてニヤッと笑う。しかし、その笑いは、二人の笑いの中で笑いの内容が違うわけでありまして、最後ニヤッと笑ってとぼとぼと帰っていく主人公の姿がある。またふるさとに帰ってみると、やっぱり自分の居場所がなくて、そして自分の家庭、家族に会いながら、何となく疎外されて帰ってくる寂しさとか、社会復帰が盛んに行われるころの人々の姿というものを、彼はかなり克明に追及しているので、それはそれなりにやっぱりあの人の持ち味だろうと思いました。

そしてもう一人、島比呂志という作者について。この方はすごく哲学的でして、わざと難しく哲学調に書く。例えば『奇妙な国』というのがあって、自分の療養所の状況を、極めて哲学用語を使って次から次へと描いていくのですけれども、その哲学調の効果 は、状況の厳しさを和らげる作用があります。そしてもうひとつの効果はごく普通 にこの園の中で行われている状況が、実は非常にとっぴなもので、普通の世の中では起こり得ないものであると。この二つのことを一つの文体できちんと書いていらっしゃる。こういう文体が私は非常におもしろいし、日本文学にまれなものであって、そういうものが園内で「ハンセン病文学」として書かれたということに、一つの衝撃を受けました。

しかし、もちろんだめな作品も数多くありました。どうしてだめかと一言で言いますと、最初に申しました文体の問題になると思うのですね。文体が洗練されていない。これはいかなる苛酷な状況、そして不思議な状況を書いても文学としては結実してまいりません。つまり読者を納得させません。読者を納得させるものは、最後は文章の力のように思います。

それは、実際に私たちが日常生活で考えたりしゃべったりしたことをそのまま文章にしても、少しも人を感動させないのであって、その日常会話とか、私たちが日ごろ考えていることを人に伝えるためのある種の技術が文体だと思います。その文体がない方の作品というのもかなりありまして、これはある時代のある状況を書いた「資料」としてはいいけれども、「文学」とは言えないのではないかと思います。

最後に申し上げたいのは、「ハンセン病文学」というのはあるのかないのかという問題。昨日もある方に尋ねられて、要するに最初に文学があって、ハンセン病だから「ハンセン病文学」だというような、そういうものはないのではないかという方がいるのですね。で、私はこう思います。たまたまハンセン病であったために、園内を中心として、あるいは園から外への視野をもって、ある時代を切り取っていったのがハンセン病の方々の文学だと。これは日本の文学の中で、非常に特異なある一つの領域を占めていると私は思います。実際に、100編を読んでみてそう思います。

するとですね、それらをまとめて呼ぶときに、何と読んだらいいのでしょう。それはやっぱり「ハンセン病文学」と呼ぶより仕方がないのではないかなと思うのですね。それからもう一つ、ハンセン病になった方々、元ハンセン病の方々は、ハンセン病以外のことを文学的な主題にしてもいいのではないか。もっと自由に大恋愛を書いても、世界中を旅する話を書いてもいいのではないかと私は思います。実際にそう思いました。だから読み始めるときにそういうファンタスティックなフィクションの作品があるかなあと思って読んでみましたら、これは本当に驚いたことに一編もございませんでした。 つまりそういうふうには、在園者の方々の気持ちは動かなかった。それも一つの真実としていいのではないかと思います。

すると二つの理由で、在園者の文学を「ハンセン病文学」とする意味があるように思います。一つは「ハンセン病文学」というものは日本文学の中で非常に特異な独特の文学集団をつくっているということ。もう一つは、在園の方々の作品の中に、ハンセン病以外のものを題材にした作品がなかった。幾つかあることはあります。例えば北条民雄の作品の中にも療養所以外のことを主題にした作品がありますが、あまりいい作品じゃない。ほかの方なども一編か二編ありましたが、それはやっぱり力ない乏しい作品で、どうも「ハンセン病」を主題に書かれた作品のほうが、すぐれているというのが事実であります。 これは、もう本当に文字通りの事実であったので、その二つの理由で私は「ハンセン病文学」という名前はどうしても必要じゃないかと思うわけです。

昨年の7月に「ハンセン病文学全集」の第一回編集会議をやりましたときに、大岡信さんとか鶴見俊輔さんとか私とか、関係者が集まってどういう文学全集をつくろうかという相談をしたときに、一つ私がちょっと提案してみたのはハンセン病というのではなくて、「らい」ではいけないのですかっていうことなのですね。

ハンセン病という言葉は、それ自体はらい菌を発見した。その人の名が病名となっているわけです。ところが「らい」は、これは旧約聖書の時代からずうっと全世界で使われている言葉です。「らい」は、旧約聖書を含めて二千年以上使われてきた言葉で、「らい」という言葉の中に美しさと強さがあるように私は思います。それで、「らい文学」「ハンセン文学」と併記した方がよいのではないかと提案しましたら、とんでもないことだと大変しかられました。「らい」という言葉が、日本の近代でもってどんなにひどい差別 の意味を持っていたかということをあなたは知らない、それは使わない方がいいし、今までの在園者の立場から言うと到底それを使う気にはなれないと言われたのですが、私はまだちょっとそれは少し自分自身ではこだわっております。

例えば、昨日もちょっとある方にお話したのですけども、フランスの作家にギュスターブ・フローベルという人がいます。フロベールには『聖ジュリアン』という短編があります。この『聖ジュリアン』というのは、クリストファーという聖人の話なのです。彼が川を渡ろうとすると、ハンセン病を病んでいる人がそばに来て川を渡りたいと言う。聖人はその人をおぶって川を渡っていくという話なのですけれど、渡っていくうちに、だんだんハンセン病の患者さんが重くなって、ついにキリストの体になったという不思議な小説です。これはもうハンセン病以前の、完全にレプラ(Leprosy)という言葉を使った名作なのですね。ところが「ハンセン病文学」といった途端にスッとどこか外っ側にいっちゃうのじゃないかと。 日本でも、つい最近私は『高山右近』という作品を書きまして、キリシタン時代のハンセン病の人々と南蛮医学のことをちょっと調べまして、長崎の病院の描写 をしました。そこではやっぱりハンセン病とは書けない。その当時の人々が言っていた言葉をそこで使う方が、歴史的な真実にかなっているわけです。その当時すでに大風子油を使いましたハンセン病の治療法というのは開発されておりまして、盛んに長崎の病院では行われていたという事実を突き止めました。そうすると、キリシタンがハンセン病治療を一生懸命行い、人々を何とか救おうとしたという歴史的事実は書きたい。

すると、やはり「らい」という言葉に私たちは時々遭遇せざるを得ないのであります。

今回の『ハンセン病文学全集』は、これは一つの歴史的な、今現在の状況としてこの名前でいいと思うのですが、私の心の中には千年の歴史のある日本文学の中で、一体ハンセン病がどのようなふうに表現されてきたのかということを考えてみたいと思っております。私はもう七十二歳で余生がないのですけれど、もし時間があればそういう努力もしてみたいと思います。

それから、最後に日本の文壇と「ハンセン病文学」について述べたいと思います。

文壇は正直に申し上げて、「ハンセン病文学」に非常に関心が低いです。これは知らないからです。ですから今度の全集が出ることで、心ある日本の文学者たちは「ハンセン病文学」に対して関心を示してくれると思います。私は、その希望を持ちます。がもう一つ近代の日本の文学の中で、ハンセン病がかなり差別 的な表現で書かれているのも事実で、そういう過去の私たちの文壇の作為というようなものも、時間があればきちんと整理してみたいなと思うのです。私は若い評論家または作家に働きかけて、「どうだ、少しやってみようじゃないか」と誘ってみるつもりでおります。皆様のなかで、もしそうことに興味のある方があったら、ぜひ参加してそういう努力の方向へ一緒に向かってくださるならありがたいと思います。

私の話はこれで終わらせていただきますが、もし皆様の方から何かお声があれば、ぜひ承りたいと思います。どうぞよろしくお願いします。                         

〈次号へ続く〉

みみずくニュース 
■『ハンセン病文学全集』の配本予定が決まりました。装丁は安野光雅さんです。 簡易版ではありますが、パンフレットも出来上がりました。(パンフレット希望の方はどうぞお申し付けください。)
『ハンセン病文学全集』第1期配本予定

1巻「小説」1 2002年9月 刊行
2巻「小説」2 
2002年10月 刊行
3巻「小説」3 
2002年11月 刊行
4巻「記録・随筆」 2003年3月 刊行
5巻「評論・評伝」 2008年3月 刊行予定
6巻「詩」1 2003年10月 刊行
7巻「詩」2 
2004年2月 刊行
8巻「短歌」 2006年8月 刊行
9巻「俳句・川柳」 2008年3月 刊行予定
10巻「児童作品」 2003年6月 刊行

 
■「みみずく通信2号」に「田中文雄(鈴木重雄)氏について」と鈴木重雄氏の2,000枚にも亘る原稿についての経緯を、三好邦雄氏にお書きいただきました。これを受けて「愛生」(長島愛生園機関紙)編集部の双見美智子さんが「愛生」誌上で田中さんの原稿を連載したいというご連絡をいただきました。さっそく原稿はお送りいたしました。双見さん、連載楽しみにしております。
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