2000.10.12 No7
■■■■■■■■■■■■ 皓星社通信 ■■■■■■■■■■■■
     
◇◆◆◇「皓星社通信」◇◆◆◇2000年10月12日号No7◇◆◆◇
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隔週刊行(頻繁に増刊の予定)

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                   編集長 森田華子
                 166-0004東京都杉並区阿佐谷南1-14-5
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【目 次】
1.ハンセン病とともに(2)(3)            谺 雄二
2.皓星社から
  ●ホームページのリンク集更新と逆リンク集
  ●掲示板から―森山加代子と黒旗水滸伝の意外な関係
    あるいは、「パイのパイのパイ」をめぐる見逃しがたい疑惑
  ●編集長交代
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☆ 谺さんの「ハンセン病とともに」は、8月9月と原稿をいただき
ながら編集子の都合で掲載が順延となってしまった。今号に2回分掲
載という不手際になったことをお詫びします。
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1.ハンセン病とともに(2)               谺 雄二

前回すでにふれたように、ハンセン病問題を私の生活を通して明らか
にするという意味合いから、国の責任のその歴史的経緯とこれの糾明
に先立ち、まず私がどんな気持ちでこの裁判の提訴におよんだかこの
ことについて述べたいと思う。

1996年1月22日開会の136通常国会は、「住専問題」で空転し、しかも
厚生省と衆院厚生委員会はHIV問題に集中、結局「らい予防法の廃
止に関する法律案」は日切れ法案とされ、衆院厚生委員会に次いで参
院厚生委員会が辛うじて「患者給与金の継続」等四項目の付帯決議を
おこない、3月27日じつにあっけなく可決成立したのである。

私は当日テレビに流れたわずか数秒の「らい予防法廃止」報道をみ、
翌28日新聞各紙がごく形式的に報じたその小さな記事に目をやりな
がら、言いようのない絶望感に打ちのめされていた。まさに患者弾圧
の希代の悪法「らい予防法」が廃止されたことは、そのための運動を
続けてきた一人としてたしかに喜ばしい。しかし法廃止にあたっての
厚生大臣(当時・菅直人氏)の謝罪は、あくまで「法見直し(廃止)
の遅れ」以外ではなく、国のハンセン病政策の過ちにも、またじつに
一世紀にわたって私たち患者とその家族がこうむった被害にたいする
償いについても、まったくの頬かぶりをきめこみ、そして4月1日施
行の「廃止法」はもちろんそうした国の意向によるものとあっては、
やはり暗澹とせざるをえなかったのである。

一方、国民注視のHIV訴訟は,らい予防法廃止2日後の3月29日に
原告団と被告の国・製薬企業との和解が成立。調印した確認書には国
・製薬企業の謝罪と責任条項を明記、これが大きく報道されたのだっ
た。

そうだ、まだ手段はある。これまでもいつかはきっとと考えていたの
だが、ハンセン病を理由に人間の尊厳を奪うことが果してゆるされる
かどうか、このさいどうしても裁判に訴えよう。そうでもしなければ、
死んでも死に切れないと私は思ったのである。私がこの決意を最も信
頼している友人中野泰氏に伝え、その中野氏を通じ自由法曹団群馬県
支部責任者の吉村駿一氏より私の弁護を引き受けるとの内諾をえたの
は、1997年11月。九州提訴に逆上ること8カ月だったのである。


ハンセン病とともに(3)

悲願だったらい予防法の廃止を実現したものの、私たちが置かれた社
会的状況に変化はなかった。なぜなら新たに施行された廃止法に療養
所入所者への「医療と生活の継続」、および名ばかりの「社会復帰に
資する措置」をうたうのみで、国の患者隔離撲滅政策は依然として生
き長らえていたからである。じじつ全療協の社会復帰対策の要求に対
し、厚生省が示してきたのは一時金150万円だった。平均60年にわたる
隔離の末に、もはや頼るべき家族を失い、断種や中絶で子も無く、強
制労働による後遺症を身に深く刻んだ私たちが、たった150万円の一時
金でどうして社会復帰できよう。その上さらに私たちの怒りに油を注
いだのは、150万円で不満ならとまさに面当ての100万円上乗せ措置だ。
即ち「お前ら社会復帰などもってのほか、隔離に安んじて死ぬがいい」
という国の魂胆そのものではないか。

これももとはといえば予防法廃止にあたって最後まで要求は「改正」
より出ず、したがって組織としての主体的取り組みはおろか、国側の
思惑通り予防法見直し検討会に代表を組み入れられ、その対応に汲々
するという当時の全患協(現全療協)運動のあり方にあったのだが、
しかし入所者側の政治不信を逆手にとった国側の悪辣さに、いまさら
ながら新たな怒りを覚える。

いずれにせよ、何のための法廃止だったのかという苛立ちが私たちの
間に渦巻いていたことは確かである。そうした私たちの気持ちをしっ
かり受け止め、手を差し延べてくれたのが他でもない九州弁護士連合
会だった。この九弁連の私たちハンセン病問題への関わりは、予防法
廃止前年の1995年にはじまる。星塚敬愛園の入所者島比呂志氏が九弁
連に対し「法曹界は人権侵害のらい予防法、優生保護法を傍観するの
か」との申し立てをおこなったのがそのきっかけだが、以後九弁連は
調査委員会を設け、療養所現地調査、アンケート調査等を繰り返し、
法廃止直後の1996年6月には「らい予防法廃止問題に関するシンポジウ
ム」を開催して、いっそうハンセン病に対する偏見・差別を克服する
活動を強めていた。そしてその活動のなかから、本稿(1)に述べた通
り、1998年7月31日星塚敬愛園と菊池恵楓園の入所者13人が決起し、
137人の大弁護団に守られて熊本地裁へ「『らい予防法』違憲国家賠償
請求訴訟」の提訴に踏み切ったのである。

☆ハンセン病と谺さんらが闘っている国賠償訴訟についてのリンク
http://www.libro-koseisha.co.jp/top03/rb909.html

10月15日(日)に「ハンセン病国賠訴訟を考える集い」が開かれます。
場所は千代田区公会堂(電話3261-1772 最寄駅は九段下・4番出口)
にて。谺さんも参加されます。

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この話題についてのご意見ご感想、情報をぜひ掲示板に!
http://www.libro-koseisha.co.jp/top09/top09.html
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2.皓星社から
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●ホームページのリンク集更新と逆リンク集

今度リンク集を少し更新しました。また、逆リンク集というものを作
りました。

http://www.libro-koseisha.co.jp/top15/top15.html


逆リンク集は、初めは当然のごとく、「どんなところがリンクをはっ
てくれているのだろう?」という好奇心で作り始めたのですが、予想
通り、大学関係が圧倒的でした。さらに「ちょっと、海外もあるよ」
と、鎖国の島国から出たことがないような感想を漏らしつつ、ハーバ
ードのライシャワー研究所など海外にもいくつか見つけました。

各サイトがどんなカテゴリーでどのように紹介してくれているのか、
集めてみたら結構興味深いものがありました。
実際、各々の状況に応じた利用方法であるとか、評価(うれしい評価
があるのです)など、集めてみると、読み比べる面白味があります。
リンク集は、今は順不同ですが、早速こんな意見をいただきました。

 分類した方が見やすくていいですよね。
 例えばリンクを貼ってある場所(トップページとかデータベースと
 か)何に関すること(本に関すること、作者に関すること、データ
 ベースに関すること)とかにわけると来た人にとって意味が伝わり
 やすいかなと思います。
    (インターネットソリューション 有限会社 環 小坂さん)

う〜ん、なるほど。
つい、楽しんで作ったのですが、上手く作れば「使えるサイト」を打
ち出すことが可能であったんですね。

考えてみれば、皓星社にリンクを張ってくださっているサイトは、ほ
とんどが、調査・研究用のサイトですから、皓星社のサイトを活用し
てくださる人がそこを逆にたどることは、案外、新しい発見があるの
は道理であったわけです。さらに工夫して実用化しなくては。

まだまだ、『雑誌記事索引集成』へのリンクがほとんどですが、調べ
もののツールとしては皓星社のサイトには、

『日本人物情報大系』の被伝記者索引、
http://www.libro-koseisha.co.jp/top01/main01.html

新顔の『オンラインアーカイブ』
http://www.libro-koseisha.co.jp/top12/top12.html

もなかなかの評判です。今後こちらにもリンクを張っていただけると
思うので、逆リンク集を作る励みになります。
まだ他にも、皓星社にリンクをはってくださっている方がいらっしゃ
ると思います。あるいは、そちらから訪ねてくださる方。当方も引き
続きさがしていきますが、「ここもこんなふうに紹介しているよ」と
いったご連絡をお待ちしています。
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●掲示板から―森山加代子と黒旗水滸伝の意外な関係
    あるいは、「パイのパイのパイ」をめぐる見逃しがたい疑惑

皓星社の掲示板に、未知の読者・名田吉孝さんから、『黒旗水滸伝』
にでてくる「東京節」を巡って、下記のような投稿がありました。
これに対して、黒川洋さんに薀蓄を傾けてもらったので、お二人の了
解を得てここに再録します。ご両人に感謝。
…………………………………………………………………………………
☆『パイのパイのパイ』の謎
投稿日 2000年10月9日(月)01時28分 投稿者 名田吉孝

はじめて書き込みます。
大阪に住む三十歳、運送業に勤めておる者です。

『黒旗水滸伝』、むさぼるように読ませていただいてます。
本当に、出してくださってありがとうございます!

で、気になったことをちょっと書かせてもらいます。

添田さつき=知道さんの作詞として上巻56ページ、382ページに
引用掲載されている『東京節』の後半部分、つまり、
「ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ
 パイノパイノパイ パリコト バナナデ 
 フライ フライ フライ」
という部分。
これ、60年代初頭のヒッパレ派の歌手・森山加代子さん通称・加代
ちゃんの『パイのパイのパイ』のその部分と全く同じであります。
加代ちゃんの方のクレジットは、[作詞:渡舟人 作曲:神長瞭月 
編曲:中村八大]となっております。

気になっていたところへ、先日飛田商店街の古道具にて『歌は流れる
 明治・大正・昭和篇』なるレコードをみつけまして、昭和43年発売
 のテイチクレコードのLP盤ですが、それに『パイのパイのパイ』
[添田さつき:作詞曲 山田栄一:編曲]があり、さっそく購入し家
に帰って聴いてみましたら、アレレ! 歌詞とアレンジが違うだけで、
加代ちゃんのと全く同じものでした。

いったい神長瞭月なる人物は、ハテ何者なるや?
添田先生の変名・ペンネームの類なのでしょうか?
それとも添田先生に縁もゆかりもない輩が、印税のために曲をパクっ
て加代ちゃんが歌うことになったのでしょうか?
また、加代ちゃんの『パイのパイのパイ』について添田先生はどう思
っていらしたのか? 何か文章が残っていないのか。

どなたか真相を御存知の方、
お教えいただければサイワイであります。 
…………………………………………………………………………………
☆神長瞭月について
投稿日 2000年10月9日(月)18時23分 投稿者 黒川 洋

神長瞭月については次のようです。

1888(明治21)年6月栃木県生まれ。
演歌とは壮士節とも書生節ともいわれ、本来は自由民権思想普及のた
めにはじまった歌による啓蒙運動であった。演歌師は明治21年頃誕生
したといわれている。したがって神長は添田唖蝉坊らの後輩として時
代に露出してきた人。
1904(明治37)年苦学しようと上京し神田に下宿。縁日に読売(当時
の演歌師は唄いながら歌詞を刷り込んだパンフを客に売った)を聞き
に行き、刺激されて処女作「松の声」を作詞作曲。その歌本を一銭五
厘で売った。
1906(明治39)年ハイカラソング、スカラーソングをあいついで作詞
する。
1907(明治40)年浅草電気館の活動写真の幕間にヴァイオリンの基本
演奏を習い、「残月一声」を作曲しヴァイオリンに載せて観衆の前で
はじめて披露した最初の人である。人気を得て演歌師を生業となす。
1913(大正2)年「松の声」「残月一声」などの演歌を日本ではじめて
レコードに吹き込み市販した。
1918(大正7)年神田で独立音楽会を解説しマンドリンとヴァイオリン
の教習をする。
1924(大正13)年頃には演歌の作詞作曲をする傍ら、発明の道にも手
を染めた。

以後幾星霜ありまして(中略)

1976(昭和51)年2月「元祖・神長瞭月」−これが基本演歌だ−のLP2
枚組(45曲)をビクターよりリリースした。因に「東京節」は入って
いない。

神長はすでに死亡。


*「パイのパイのパイ」の謎については

当時は譜面や採譜という技術もなく、口伝で拡散していった歌ですか
ら、確かな確証もなく、添田知道(さつき・唖蝉坊の伜)作詞曲であ
る口伝のメロディーを神長が採譜したというのが真実であると思える。
また、演歌師の組合などが当時はあり相互扶助としてその代表が氏名
を表記するという形であったようです。明治人は小さいことにはこだ
わらなかったのだと推測する。が、確証はなし。
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●編集長交代

この9月、本誌編集長森田華子は藤間流の名取になりました。同時に、
仕事との両立に悩むことになりました。贅沢な悩みのような気がしま
すが、ことは職業観、人生観の問題であり、価値観を強制するわけに
もいきません。下記の次第で森田は退職することになりました。
…………………………………………………………………………………
ご挨拶           
                  皓星社営業企画部 森田華子
                  
このメールマガジンが創刊してからまだ2カ月しか経っていないのに
も関わらず、皆様にお別れのご挨拶を書くことになろうとは……。
 
私、森田華子は、1998年大学在学中に朝日新聞の求人広告を見て応募、
その年の9月からアルバイトで皓星社で働かせて頂いていました。
翌年、3月15日(卒業式の翌日!)から営業部で働き始めて1年と7カ
月のヒヨコです。日頃は新刊のご案内を持って書店さんへ行ったり、
広告を作ったりという仕事をしていました。仕事が遅かったり、抜け
ているところは皆社内の心優しき編集人や営業人、そして皓星社を通
じて知り合うことが出来た方々に助けて頂きここまできました。

まだまだ学ぶことが沢山あるにも関わらず、辞意を表明した理由は本
業と自分が大切にしている日本舞踊という趣味が両立できず、仕事を
断念せざるを得ないという結論を出してしまったからです。小さい頃
から下手なりにも14年間という年月をかけて稽古を続け、だからとい
ってこれから舞踊家として生きていくという決意も特に或るわけでは
ないのですが、それでも週に2回の稽古は私にとって喜びと苦しみの
連続でそこから多くを学び、自分の人生にとって大切な大切な時間で
あり続け、職を持った今もそれは変わっていません。
 
現在のところ皓星社は大きな転換期に来ており、社員一同必死で働い
ている状況で、そこに進みゆくものがもつ喜びと自負があり、学ぶこ
とも沢山あり、ということでとても趣味も仕事もという状況ではあり
ません。どうしても、すぐに一杯になってしまう自分や、覇気がない
自分がいつも隣り合わせになってしまい、周りの方々に沢山御迷惑を
掛けてしまいました。
 
踊りをただの趣味と言い切ってしまうにはあまりに忍びなく、自分な
りにどうしたら良いのか考えたのですが結果として皓星社を辞めると
いうことになりました。今は日本舞踊を続けながら、それをプラスに
していけるような仕事なんてあるのかしらと考えているところです。

『本業失格』という本があるように、本業を越えて好きなものを持ち
続けることはとても大切なことだけれど、それは必ずしも本業を換え
続けることではないと思うので、ちょっと気持ちを切り替えていきた
いと思います。
 
就職難の時代に、希望通り出版業界に入れてもらえたことに本当に感
謝すると共に、お世話になった方々未だ見ぬ皓星社通信の読者の方々
に心からお礼を申し上げたいと思います。短い間でしたが、ありがと
うございました。
また、何かの機会に皆様とお会いできますように。

                           森田華子
                           
“We don't need to shift our responsibilities onto the shoulders
of some deified Spiritual Superman,or sit around and wait for
Fate to come knocking at the door.We simply need to believe in
the power that's within us,and use it.When we do that,and stop
imitating others and competing against them,things begin to work
for us.”                 
                     ―『The Tao of Pooh』

そして、私に“Live with less.”と語りかけてくれた友人に感謝を
込めて。
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                        2000.10.11 No7