ほうげん日誌

「ほうげん」は「方言」であり「放言」であります。
また濁れば「暴言」であり、また「妄言」あるいは「謗言」であります。
ここまできてくださる方はめったにいないでしょうし、読んでくださる方はもっと少なく、
したがって、ここに多少出鱈目を書き散らしても、泣き言を並べても大して害毒をたれ流すという訳でもないと信じます。
ということで、何がなにやら自制心も、論理も、羞恥も、責任感も美意識もみんなふっ飛ばしての、
悪口雑言、支離滅裂,饒舌冗文、乱筆乱文真っ平御免です。
立ち去るときには、綺麗に忘れてください。

HOME PAGE

求人 09/06/18(木)19:42:01
このサイトを見て、弊社の仕事にご関心をお持ちの人がいたらご連絡ください。
零細の会社なので、仕事の内容、求めるスキルは一口に言えません。したがって待遇も同じ。
性別、国籍、年齢、学歴など一切問いません。
話し合って、「意気投合」したら一緒に仕事をしましょう。

まあ、ここを見ている人は少ないでしょうから、詳細は「表」でも発表する予定です。



要するに金玉の大小の問題だ。 09/04/13(月)12:38:37
4/13 出版権というもの
「復刻出版」が出版権を主張する根拠があるだろうか?

元来、復刻出版の多くは「出版権」の消滅したりオープンなものを扱うことが多い。その場合、復刻出版社が「出版権」を主張する根拠があるのかということ。
出版権は消滅した(オリジナルの出版社が現存しない)が、著作権は消滅しないケースはありうる。しかし、原出版社(消滅している)でも著作権者でもない復刻出版社が「出版権」を主張するのは少しずうずうしいといわざるを得ない。出版権の消滅した出版物は、いわば公共財であって一私企業の私有物ではないはずである。復刻はいわば「公共財」をビジネスに使わせていただいているとして謙虚にふるまうべきだと思っている。
(復刻出版社が苦労して集め、修正を施した「版面」を使って海賊出版をするのは、「版面権」の侵害として別な話である)

したがって、このデータベースの場合、基礎になった『雑誌記事索引集成』120巻を使って、どこかがデータベース化したとしても、弊社に口を挟む権利はないと理解していた。弊社では手に余る仕事なので、某機関に、「権利」など主張しないから『集成』を自由に使って「世のため人のために」データベース化してくださいとお願いしたこともある。
しかし、どこもなさらなかったので非力をも省みず弊社で取り組むことになったわけである。

具体的には、某社が版権オープンの雑誌を復刻している。その同じ雑誌の「目録」部分を『集成』にも、データベースにも収録した。もちろん復刻出版社には「お断り」する理由はない(原出版社および著作権者を無視するということではない、オリジナルを編纂出版された原出版社に対しては出版人として尊敬の念は他に劣らないと思っている)ので、『集成』のときも今回のデータベース化に当たってもお断りはしていない。

また、「フェアユース」という概念からいっても、復刻出版社が著作権法の範囲を拡大して過度に権利を主張することは、文化や学術の発展を阻害する行為に他ならない。

小社は出席しなかったが、シカゴでの何とか言う会議で文生書院と不二出版の大野君が弊社のデータベースが両社の出版権を侵害したかのような発言をしたらしい。

ご意見をお聞かせください。
http://zassaku-plus.com/send_comment.php
または、
fuji@libro-koseisha.co.jp

キャッシュ 0−1 09/02/03(火)17:35:49
これは Google に保存されている http://www.shuu.org/cgi/bbs/kochi01.cgi?mode=past のキャッシュです。 このページは 2008年12月14日 04:02:10 GMT に取得されたものです。 そのため、このページの最新版でない場合があります。 詳細
テキストのみのバージョン
ハイライトされているキーワード: イシガ このページへのリンクにだけ含まれているキーワード: オサム
[掲示板に戻る]


過去ログ

キーワード 条件 表示
フォームの終わり



[3773] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2007/08/31(Fri) 22:40  [レス機能工事予定地]
もっかい、お邪魔蟲。
あぁ、私もおツムがくらくらしてきたわー。



[3772] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2007/08/31(Fri) 20:29  [レス機能工事予定地]
なにもそんなに難しく考えなくともよい。
「偽善」蟲の顔を確かめたくば、自分自身を覗き込むか、または、他者を鏡として己の姿を映してみればよい。
誰もが、甘い蜜を求めて蠢く偽善蟲の一面をもっていよう。

ほい、お邪魔蟲ー! すたこら、さっさ



[3771] 「運動」ではなく 投稿者:しゅう 投稿日:2007/08/31(Fri) 16:29  [レス機能工事予定地]
運動は、単純で、明快な方が、エネルギーとして集約しやすいのではないでしょうか。
常々思っているのですが、だいたい、ふーむさんは複雑で、難しい考え方をされると思います。運動としては、そのような考え方は、スローガンとして立ち上がりにくいと思います。運動には不向きなタイプではないでしょうか? 私は、運動から身を引かれて、側面から、自由に意見を仰ったら良いように思っています。

出版人としてなされなければならないことは、全集だけではないと思います。ハンセン病の歴史の中で、すばらしいものを遺してくれた人がたくさんおられます。田中文雄さん(鈴木重雄)の「失われた歳月」は出せてよかったですね。その他にも、わたくしは、田村史朗さん、この方ほどしっかりと足下を見て、謙虚に生きられた方はおられないと思います。マルクスを原語で読まれるほどの秀才で、京大を出ておられながら、駿河で盲人の出来ることとして、評議会議長される傍ら、ずっとマッサージをして歩かれました。この方はもっともっと掘り下げられなければならない人だと思います。それから、野上寛次さんもその一人でしょう。たくさんの評論を書かれ、ご自分の考え方、思想を明確に表出され、そして、書かれたことにまったくブレが無く生きておられる、すばらしいと思います。島田等さんは思想家50人に選ばれたそうですが、野上さんはご自身の評論をまとめて世に出しておられません。
わたしが、「つうしん」に出会ったのは、野上さんの書かれているものをできるだけ読んでみたいと思ったことに端を発しています。野上さんご自身は書きっぱなしで、持っておられないので、オカノさんに問い合わせ、送っていただいた中に「つうしん」があったのです。

これらは、わたしがいままで出会っただけの感想ですが、ハンセン病の関わりで、私たちがしなければならないことは、たくさんあるように思います。そうしたことに熱心に、ふーむさんが、取り組んで下さるとわたしは、うれしいのですが。

「偽善」の問題は難しくてよく分かりません。



[3770] 無題 投稿者:エミ 投稿日:2007/08/31(Fri) 09:28  [レス機能工事予定地]
> 「十坪住宅の募金」は一つの運動で、その時代の中では、人を動かす真実があったんだと思います。
> 今日、多くの人の心を動かして集まったのが「市民学会」でしょう。
・・・・・・・・・・・

「十坪住宅の募金」は一つの運動であって、あの時代にあっても、人を動かす“propaganda”であったと思います。
今日の「市民学会」も、一つの運動であって、そこに参集したすべての人ではないにしてもその多くが、やはり“propaganda”によって、“偽善”という甘い蜜に吸い寄せられるようにして集まった集団になりさがろうとしているように見えます。
運動は、それが真摯に“真実”を追究することから逸れるとき、もしくはそこに僅かといえども“偽善”を含むときは、いつでも“宣伝”に墜してしまう。とりわけ一部の特権的な人たちの利益が絡む場合は、リスク-ベネフィット比は、“宣伝”に堕すリスクの方に大きく傾くものだ。



[3769] はははは。 投稿者:ふーむ。 投稿日:2007/08/31(Fri) 07:46  [レス機能工事予定地]

読み返してみたら、列挙した諸先生にではなく「おいら」の部分にのみ反論したのか。

ついでに言えば、市民学会こそ『いまの「理解者」と称する人は、腫れ物に触るように「機嫌取り」に終始し、入所者の言うことに沿ったことを言うのが「理解」の証のようにいっています』だと思っています。








[3768] Re:[3767] [3764] [3763] それでも 投稿者:ふーむ。 投稿日:2007/08/31(Fri) 07:41  [レス機能工事予定地]
>
> 「十坪住宅の募金」は一つの運動で、その時代の中では、人を動かす真実があったんだと思います。
> 今日、多くの人の心を動かして集まったのが「市民学会」でしょう。

これが一番危険な認識だと思います。
上坂冬子と同じ。

東條英樹はお国のために一所懸命やった。それを現在の価値観で云々するのは間違い。
これでは誰も、光田健輔を非難できない。






[3767] Re:[3764] [3763] それでも 投稿者:しゅう 投稿日:2007/08/31(Fri) 06:10  [レス機能工事予定地]

> 森さんや杉村春三のような人は、同じ目線に立って直言しました。
> いまの「理解者」と称する人は、腫れ物に触るように「機嫌取り」に終始し、入所者の言うことに沿ったことを言うのが「理解」の証のようにいっています。
> そのことを、オカノさんは、「そういう人は昔だったら光田に盲従した」といいました。成田さんは「そういう意識を持たせたのが隔離政策であって、それがわれわれの責任だ」といいます。おいらは、「十坪住宅の募金に走り回った女学生」と同じだと思います。
>

「十坪住宅の募金」は一つの運動で、その時代の中では、人を動かす真実があったんだと思います。
今日、多くの人の心を動かして集まったのが「市民学会」でしょう。
二つは、時代の変化なのだと思います。「真実」はどちらにもあるんだと思います。
それが運動の難しさだと思います。

森さん、オカノさんが入園者のたいへんな理解者であったという点は、まったくその通りだと思います。社会から排除されたハンセン病患者さんたちを社会の一員として考えようとすると、「良薬口に苦し」で、厳しいことを口にされました。
[3694] 健康な者と病気の者をめぐって/オカノユキオ
これ↑など、今読まれても、誤解をされるのではないかと思いますが、わたしはものすごい愛情を持って入園者へ意識の変化を求めているように思います。



全84件が記録されています。
1ページに 3件ずつ表示されます
HOME PAGE
EasyJoho Ver1.1