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地理・地誌・紀行[290]

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[アネ]川御合戰圖 登録日:2000/09/19(Tue) 18:20 [修正・削除]

東北大学狩野文庫絵図。


[アネ]川御合戰圖 登録日:2000/09/19(Tue) 18:19 [修正・削除]

東北大学狩野文庫絵図。


環海異聞 登録日:2000/09/13(Wed) 10:35 [修正・削除]

大槻茂質問・津太夫等答。同志社大。


上京日録 登録日:2000/09/13(Wed) 10:15 [修正・削除]

寛政七年、立原翠軒等が大日本史編纂資料探訪のため近畿巡回時の自筆日記。同志社大。


比売嶋日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:54 [修正・削除]

幕末の政治的混乱の中で、尊攘派の志士を暖かく支援し続けた女流歌人、野村望東尼の日記。奈良女子大。


出雲路日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:53 [修正・削除]

国学諸藤井高尚が岡山市の自宅から出雲大社に行った時の旅日記。奈良女子大。


やつれみのの日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:51 [修正・削除]

衣川長秋が鳥取から米子までの約二ヶ月の旅の様子を記した日記。奈良女子大。


東海紀行 登録日:2000/09/12(Tue) 21:50 [修正・削除]

22歳の時、讃岐丸亀藩主京極高豊の母養性院に召され、江戸へ向かった『東海紀行』、『帰家日記』は、養性院の没後、讃岐へ帰郷した際の旅日記。奈良女子大。


帰家日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:49 [修正・削除]

22歳の時、讃岐丸亀藩主京極高豊の母養性院に召され、江戸へ向かった『東海紀行』、『帰家日記』は、養性院の没後、讃岐へ帰郷した際の旅日記。奈良女子大。


井上通女紀行 登録日:2000/09/12(Tue) 21:48 [修正・削除]

22歳の時、讃岐丸亀藩主京極高豊の母養性院に召され、江戸へ向かった『東海紀行』、『帰家日記』は、養性院の没後、讃岐へ帰郷した際の旅日記。奈良女子大。


須磨日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:45 [修正・削除]

弘化四(1847)年8月24日から9月1日まで、香川景周が歌仲間とともに須磨を訪ねたことを、その直後に記した紀行文。奈良女子大。


須磨記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:44 [修正・削除]

菅原道真を作者に擬した偽書。昌泰2(899)年2月14日右大臣に任ぜられ、延喜元(901)年太宰権帥に左遷されて、京より須磨の浦に至るまでを描く。奈良女子大。


よしのにき 登録日:2000/09/12(Tue) 21:40 [修正・削除]

香川景樹の門人、氷室長翁が65歳の時、妻の陳子と共に吉野へ花見に出かけた時の紀行文。奈良女子大。


菅笠日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:39 [修正・削除]

本居宣長が43歳の時に吉野へ桜見に行った時の紀行文。奈良女子大。


小嶋のすさひ   登録日:2000/09/12(Tue) 21:38 [修正・削除]

時の関白二条良基が、先発した後光厳帝を追って都から小島・垂井へ向かい帰京するまでの紀行文。奈良女子大。


おかげもうでの日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:37 [修正・削除]

<お陰参り>の様子を、
当時16歳であった松坂在住の若き国学者大平が書き留めたもの。大平は後に本居宣長の養子となり本居家を継いだ人物である。奈良女子大。


椿まうでの記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:35 [修正・削除]

天明7(1787)年(或は天明8年)、国学者村田春海が親族の村田並樹と共に、伊勢白子の里より鈴鹿椿の大社へ詣でたときの紀行文。奈良女子大。


庚子道の記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:34 [修正・削除]

尾張藩名古屋に数年間客居した女性が、花の頃合、故郷の方へ帰る折の道中の記。奈良女子大。


富士日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:33 [修正・削除]

歌人として、また古典学者として名の知られていた賀茂季鷹が、富士詣での旅を記録した日記。奈良女子大。


ふじ日記 登録日:2000/09/12(Tue) 21:32 [修正・削除]

浄土宗増上寺の学僧であった在融が富士詣でをしたときの日記。奈良女子大。