皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

ざっさくプラス物語 藤巻修一

○データベース作成のきっかけは『水野広徳著作集』

このデータベースを作るきっかけになったのは、1995年に雄山閣から出版された『水野広徳著作集』の編纂でした。

水野広徳(1875―1945)は、日露戦争に従軍後に書いた海戦記『此の一戦』(博文館 1911)がベストセラーになり、その印税で第一次世界大戦を観戦にヨーロッパに行きます。そこで見たのは、日露戦争とまったく違う、航空機・戦車・潜水艦・毒ガスなど近代兵器が出揃った、都市の空爆あり、潜水艦の商船攻撃あり、非戦闘員を巻き込んだなんでもありの総力戦でした。帰国後、水野は海軍を退役し軍縮・平和のために論陣を張るようになります。

 

○まず、目録の収集だ

著作集編集は、まず作らなければならない著作目録の作成は困難を極めました。なぜならば、1930年に日本で出版された雑誌類は約4万タイトルといわれるのに対し敗戦の年には統廃合によって2000に減じ、多くは敗戦とともに廃刊となっています。われわれは、戦前の雑誌の名前も知らず、水野の記事を探し出すのは、地図も磁石も持たずにジャングルに分け入るようなものでした。

NDLの「雑誌記事索引」も民間のデータベースも、検索対象は「戦後」に限られていました。その地図に当たる戦前期の目録を探索することになりました。

すると、意外にもむしろ戦前期のほうがこうした目録類はたくさん作られていることがわかりました。ただ、その多くは学術雑誌などの巻末に「先月の重要記事」などとして掲載されているため埋もれてしまっていたのでした。

また、満鉄総裁、東京市長など赴任する先々で、満鉄調査部、東京市政調査会を作り、大掛かりな目録作成事業を行った後藤新平の一面や、昭和のはじめから敗戦のときまで私財を投じて毎年『昭和○年の国史学界』という目録を作り続けた筑波藤麿などの存在も知りました。筑波藤麿は、明治天皇の孫に当たります。戦後、靖国神社の宮司になりますが、その在任中、A 級戦犯の合祀に頑として応じなかったことで知られています。

こうして戦前期の雑誌記事目録のほとんどすべてを収集して、「水野広徳著作目録」は完成し、1995年に著作集は出版にこぎつけることができました。

収集した目録は、約10万ページにのぼり、目録の威力を実感したわれわれは、『水野広徳著作集』に利用しただけで終わらせるのは惜しく、整理して『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』(全120巻)として刊行しました。

 

○どこもやらないなら、やってみよう

そのご、「これからの時代、データベースだろう」と、『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』のデータベース化の要請は強かったが、とてもわれわれにできる仕事とは思っていませんでした。事実、NDLの「雑誌記事索引」にしても、NIIの CiNii にしても国の仕事です。しかし、「どこもやらないなら、やってみよう」と、少しずつデータの入力を開始しました。『明治・大正・昭和前期雑誌記事索引集成』の主要な部分の入力を終え、次の段階として、雑誌の総目次の入力を始めました。戦後のデータはNDLから提供を受け、さらにCiNiiとの連携検索を実現し、2008年に明治期から現代までをカバーする唯一のデータベースとしてスタートしました。

 

○データベースと目録の本質的な違い

水野広徳の著作を探すのに威力を発揮した戦前期の目録類ですが、データベースで検索すると、水野は雑誌「新青年」に数編執筆しているのがわかりました。確認すると、収集した10万ページの「目録」には、ひとつとして「新青年」からとったものはありません。現在では研究対象になっている「新青年」ですが、当時としては採録の対象にもならない雑誌だったことになります。

「目録」は、作成者が記事内容を吟味して、重要と思うものを採録します。

その分、効率的ですが、その価値判断から外れたものは除かれてしまいます。これに対して、データベースは、価値判断をせずに片端からデータを搭載します。コンピュータは愚直に指示された条件で検索します。「目録」と「データベース」の本質的な違いがここにあります。