皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

ざっさくプラス物語 藤巻修一

1990年ころ、1953年に始まったテレビの民間放送が40周年を迎えようとして、記念事業の機運が盛り上がっていた。学生時代家永三郎さん(私たちの学校は、先生に面と向かっても「さん」づけが慣わしだった)から聞いた水野広徳の著作集出版を「記念事業」として水野の生まれ故郷・愛媛県の南海放送に提案して採用された。

 

水野広徳(1875―1945)は、少年の頃「弱きを助け強きをくじく侠客に憧れた」という人で、海軍士官として日露戦争に従軍後に書いた海戦記『此の一戦』(博文館 1911)がベストセラーになり、その印税で第一次世界大戦を観戦にヨーロッパに行った。そこで見たのは、無人の荒野で兵隊同士が戦った日露戦争とはまったく違う戦争だった。第一次大戦は航空機・戦車・潜水艦・毒ガスなど近代兵器が出揃った戦争だった。水野が眼にした戦争は、都市の空爆あり、潜水艦の商船攻撃あり、非戦闘員を巻き込んだなんでもありの総力戦だった。国際紛争を解決する手段として戦争はダメだと「日本国憲法」の前文のようなことを考えた水野は、帰国後、海軍を退役し軍縮・平和のために論陣を張るようになった。

 

しかし、敗戦の年なくなり、先行研究も少ないところから、まず作らなければならない著作目録の作成は困難を極めた。なぜならば、1930年に日本で出版された雑誌類は約4万タイトルといわれるのに対し敗戦の年には統廃合によって2000に減じ、多くは敗戦とともに廃刊となっている。戦後に生まれたわれわれは、戦前の雑誌の名前も知らず、その中から水野の記事を探し出すのは、地図も磁石も持たずにジャングルに分け入るようなものだった。NDLの「雑誌記事索引」も民間のデータベースも、検索対象は「戦後」に限られ、われわれの目的をかなえてくれるものはなかった。

 

そこで結局、その地図に当たる「記事目録」そのものを探すという手順がもっとも、効率的ではないかということになって、戦前期の目録を探索することになった。すると、意外にもむしろ戦前期のほうがこうした目録類はたくさん作られていることがわかった。ただ、その多くは学術雑誌などの巻末に「先月の重要記事」などとして掲載されているため埋もれてしまっていたのだった。

 

また、台湾総督府、満鉄調査部、東京市政調査会など赴任する先々で、大掛かりな目録作成事業を行った後藤新平の一面や、戦後、靖国神社の宮司になってその在任中、A 級戦犯の合祀に頑として応じなかった筑波藤麿は、昭和のはじめから敗戦のときまで私財を投じて毎年『昭和○年の国史学界』という目録を作り続けたことを知った。筑波藤麿は、いわゆる「鳥の宮様」山階宮の長男の元皇族である。後に目録の著作権のことでお目にかかった早稲田大学教授の筑波常治先生は、藤麿の次男であるが「私は天皇制には反対です」と明言された。先生は、「思想の科学」の同人で、学生のころ誌上で何度もお見かけしたことがあった。

 

こうして戦前期の雑誌記事目録のほとんどすべてを収集して、「水野広徳著作目録」は完成し、1995年に著作集は出版にこぎつけることができた。

 

収集した目録は、約10万ページにのぼった。目録の威力を実感したわれわれは、『水野広徳著作集』に利用しただけで終わらせるのは惜しく、整理して『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』(全120巻)として刊行した。完結したとたんテーマになったのは、『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』のデータベース化だったが、とてもわれわれにできる仕事とは思っていなかった。事実、NDLの「雑誌記事索引」にしても、NIIの CiNii にしても国の仕事である。しかし、「どこもやらないなら、やってみよう」と、少しずつデータの入力を開始した。『明治・大正・昭和前期 雑誌記事索引集成』の入力を終え、次の段階として、雑誌の総目次の入力を始めた。戦後のデータはNDLから提供を受け、さらにCiNiiとの連携検索を実現し、2008年に明治期から現代までをカバーする唯一のデータベースとしてスタートした。現在は、他のデータベースが採録対象にしていない「戦前期」と「地方雑誌」のほか、採録基準の見直しなどで空白期間の多いNDLのデータの補充の三つを重点に追加を行っている。NDLのデータは、たとえば「婦人公論」の採録は〈 34(9)(376)[194809]~43(10)[195809],81(8)[199607]~ 〉と、1958年から1996年までの40年間が空白である。

 

水野広徳の著作を探すのに威力を発揮した戦前期の目録類であったが、データベースで検索すると、水野は雑誌「新青年」に9編執筆している。これは「目録」では発見できなかったものだ。確認すると、収集した10万ページの「目録」には、ひとつとして「新青年」からとったものはない。つまり、現在では大学の研究者の研究対象になっている「新青年」だが、当時としては目録の採録対象外だったのだ。

 

「目録」は、作成者の手が入っている分、効率的ではあるが、手が入っていたり、時代の制約でその価値判断から外れたものは除かれてしまう。データベース作成者は、価値判断をせずに片端からデータを搭載する。データベースは愚直に指示された条件で検索する。「目録」と「データベース」の本質的な違いである。

 

このデータベースは現在、海外66、国内133の大学図書館などに採用されているが、図書館における先人たちとの出会いのツールとして活用されることを願っている。

 

(2021年5月24日改稿)