編集委員の言葉
 

驚きをもって

詩人 
大岡 信

『ハンセン病文学全集』の第6・7巻(「詩」)、第8巻(「短歌」)、第9巻(「俳句・川柳」)の編集を進めているところである。これら短詩型文学は、小説、評論その他に比べれば、作者の人数からして圧倒的に多数を占めているのは当然だが、作品の質からしても、すぐれた作品が実にたくさんあって、少し不謹慎な言い方かもしれないが、宝の山をさえ思わせる。何しろ今までは、ごく一部の人を除けば、それらの存在すら知らずにいた人々が大部分だろう。けれども、短歌なら明石海人、津田治子、伊藤保、俳句なら村越化石、詩なら塔和子などの名は多くの人に知られている。だが、これらの人々を遥かに超える数の注目すべき作者らがいて、その中には日本人以外の人々もいた。一例をあげれば、数年前に亡くなったが、1922年に韓国に生まれ、20歳のとき夫を追って渡日、二人の子を産んだのち発症し、以後ずっと栗生楽泉園で暮らした、日本名香山末子さんのような人もいる。異国語(日本語)で口述する彼女の詩が、どれほど豊かな情感に支えられているか、この『ハンセン病文学全集』を見る人は、驚きをもって確かめるだろう。

 

 

深い感動と共に


国際医療福祉大学総長
藤楓協会理事長
大谷藤郎

89年間の「らい予防法」の下で社会へ戻ることを許されない中で、書画、盆栽、手工芸、陶芸、音楽などに精進する人や詩、短歌、俳句、川柳等から小説、評論、エッセイなど文芸に没頭する人がいた。おびただしい作品群である。しかもそれらの作品の持つ意味、制作の意図や動機などはそれぞれがたどられた運命同様に千差万別 である。 ただし共通していえることは、非条理に基本的人権を奪われて、抑圧された極限状態に置かれてしまったが故に、むしろ普遍的な人間性を表現しているのではないかということ、世界に例を見ない日本のハンセン病隔離という誤った人権侵害の歴史の中に閉じ込められた一群の人々によって、生み出された疎外、抵抗、絶望、人間回帰などの諸側面 、人間が人間であるための諸条件につきあたり、迷い、できあがって残されてきた作品である。ごく一部の有名なものを除いて今まで世に埋もれていた無名の多くが、今ここに改めて陽の目を見るのを深い感動を持って私は見ている。

 

 

良質な小説群  

作家
加賀乙彦

この世の一画に隔離されるという過酷な状況において、国の法による人権無視の政策によって、世の人々の偏見によって、苦しみながらハンセン病者は、その生きる証として、必死で日本語の刻印を積み重ねてきた。私は、北条民雄以来、多くの小説が書かれてきた事実を知り、今回それらをせっせと読み通 してみて、ここに特異な、しかも良質な小説が数多く存在することを発見した。また、圧迫と差別 と隔離に苦しみながらも、ただただ暗い絶望だけでなく、明るいユーモアや笑いを誘う風刺の文学を見いだした。それらの多くは中央文壇とは別 なところで書かれ、つつましやかな出版のせいで、一般にはほとんど知られていない。私は、今回の『ハンセン病文学全集』が、日本でははじめての試みとして、世に隠れた作家たちを、広く江湖に紹介し、また後世に伝えていく、大きな第一歩であることを信じている。

 

 

世界文学の一部として

哲学者
鶴見俊輔

かろやかに時代から飛び去る言葉があり、その反対に時代の底に沈んでひろく同時代の人の目にふれない言葉がある。 『ハンセン病文学全集』に集める作品は、ながく時代の底にあった言葉である。 この百年の日本文学全集に対して、もうひとつの流れをつくる。それだけでなく、国の障壁下をくぐって、日本国の外の人々に訴える力をもつ独特の文学である。それは国語をはみでた文学といえる。 そのことを確信する詩人大江満雄は、早く病者の作品をあつめて『いのちの芽』という詩集を編んだ。彼の目指した方向にそうて、この文学全集が、世界文学全集の一部として生きることを望む。私達の前に療養所の内と外に、多くの先人の努力があった。